アンケ・フーバーとは? わかりやすく解説

アンケ・フーバー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/18 15:05 UTC 版)

アンケ・フーバー
アンケ・フーバー
基本情報
ラテン文字名 Anke Huber
国籍 ドイツ
出身地 同・ブルッフザール
生年月日 1974年12月4日(40歳)
身長 173cm
体重 58kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1989年
引退年 2001年
ツアー通算 13勝
シングルス 12勝
ダブルス 1勝
生涯通算成績 577勝354敗
シングルス 447勝225敗
ダブルス 130勝129敗
生涯獲得賞金 $4,768,292
4大大会最高成績・シングルス
全豪 準優勝(1996)
全仏 ベスト4(1993)
全英 4回戦(1991・93・95・
2000・01)
全米 ベスト8(1999・2000)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(1994-96)
全仏 ベスト4(1992)
全英 3回戦(1992・2000)
全米 ベスト8(2000)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 4位(1996年10月14日)
ダブルス 23位(1998年2月9日)

アンケ・フーバーAnke Huber, 1974年12月4日 - )は、ドイツ・ブルッフザール出身の元女子プロテニス選手。1996年全豪オープンテニスの女子シングルス準優勝者。長い間世界ランキング1位の座に君臨したシュテフィ・グラフとともに、ドイツ・テニス界を支えてきた選手である。シングルス自己最高ランキングは4位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。WTAツアーでシングルス12勝、ダブルス1勝を挙げた。グランド・ストロークの強打を最大の武器にした。

来歴

1989年1月に14歳でプロ入り。1990年にプロ初優勝を果たし、この年から女子テニス国別対抗戦「フェデレーションカップ」(当時の名称)の西ドイツ代表選手に選ばれた。(注:ドイツ再統一1990年10月3日に実施されたため、フーバーのテニス経歴はほとんど「ドイツ」国籍による。)1991年全豪オープンで世界の舞台に頭角を現す。強烈なグラウンド・ストロークから、最初は“グラフ2世”と呼ばれた。1992年のフェデレーションカップで、フーバーはグラフとともにドイツ・チームを5年ぶり2度目の優勝に導いた。1993年全仏オープンで初の準決勝に進出するが、グラフに 1-6, 1-6 で完敗した。

1995年11月の女子テニスツアー年間最終戦「チェイス選手権」(当時の名称)で準優勝。その時の準々決勝で日本の伊達公子に逆転勝ちしたフーバーは、女子テニストーナメント唯一の5セット・マッチで戦われる決勝戦で、5歳年上の先輩グラフとフルセット(セットカウント 2-3, スコア:1-6, 6-2, 1-6, 6-4, 3-6)を戦った。(この5セット・マッチ決勝戦は、1998年を最後に廃止された。)フーバーはグラフには通算10戦全敗で一度も勝利を挙げることは出来なかった。

1996年全豪オープンで初の4大大会決勝進出を果たしたが、1993年の刺傷事件から復帰してきた第1シードのモニカ・セレシュに 4-6, 1-6 のストレートで敗れ、フーバーは準優勝に終わった。1998年全豪オープンでベスト4、1999年全米オープン2000年全米オープンでベスト8に進出している。

フーバーはオリンピックのドイツ代表選手としても、1992年バルセロナ五輪1996年アトランタ五輪の2度出場記録がある。フェドカップ1995年から現在の名称に変更)のドイツ代表選手としても、1990年から現役引退する2001年までその位置にとどまった。彼女は「シングルス通算勝利数」(24勝9敗)でドイツ・チームの歴代1位記録保持者である。

1999年8月に先輩のグラフが現役を引退してからは、フーバーが“孤軍奮闘”状態でドイツ・テニス界を支えた。2001年11月、地元ドイツ・ミュンヘンの「オリンピアホール」で開かれたWTAツアー選手権を最後に現役を引退する。最後の試合の相手はベルギージュスティーヌ・エナンで、1回戦で 1-6, 2-6 の完敗に終わった。地元での最後の試合であったが、会場のオリンピア・ホールに集まった観客は半分ほどであり、ドイツにおけるテニス人気の衰退を印象づけた場面だった。フーバーの引退後ドイツの女子テニス界は長く低迷したが、2010年代からアンドレア・ペトコビッチザビーネ・リシキアンゲリク・ケルバーなどが活躍している。

フーバーは2005年4月に長男、2006年10月に長女を出産している。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 23回 (12勝11敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 1990年8月20日 スケネクタディ ハード マリアン・ワーデル 6–1, 5–7, 6–4
準優勝 1. 1990年9月24日 バイヨンヌ ハード (室内) ナタリー・トージア 3–6, 6–7(8)
優勝 2. 1991年10月14日 フィルダーシュタット ハード (室内) マルチナ・ナブラチロワ 2–6, 6–2, 7–6(4)
準優勝 2. 1993年1月11日 シドニー ハード ジェニファー・カプリアティ 1–6, 4–6
優勝 3. 1993年7月12日 キッツビュール クレー ジュディス・ヴィースナー 6–4, 6–1
準優勝 3. 1993年10月18日 ブライトン カーペット (室内) ヤナ・ノボトナ 2–6, 4–6
優勝 4. 1994年7月25日 スティリア クレー ジュディス・ヴィースナー 6–3, 6–3
優勝 5. 1994年10月16日 フィルダーシュタット ハード (室内) マリー・ピエルス 6–4, 6–2
優勝 6. 1994年11月13日 フィラデルフィア カーペット (室内) マリー・ピエルス 6–0, 6–7(4), 7–5
優勝 7. 1995年10月1日 ライプツィヒ カーペット (室内) マグダレナ・マレーバ 不戦勝
準優勝 4. 1995年11月13日 ニューヨーク カーペット (室内) シュテフィ・グラフ 1–6, 6–2, 1–6, 6–4, 3–6
準優勝 5. 1996年1月28日 全豪オープン ハード モニカ・セレシュ 4–6, 1–6
優勝 8. 1996年6月17日 スヘルトーヘンボス ヘレナ・スコバ 6–4, 7–6(2)
準優勝 6. 1996年8月12日 ロサンゼルス ハード リンゼイ・ダベンポート 2–6, 3–6
優勝 9. 1996年10月6日 ライプツィヒ カーペット (室内) イバ・マヨリ 5–7, 6–3, 6–1
準優勝 7. 1996年10月13日 フィルダーシュタット ハード (室内) マルチナ・ヒンギス 2–6, 6–3, 3–6
優勝 10. 1996年10月21日 ルクセンブルク カーペット (室内) カリナ・ハブスドバ 6–3, 6–0
準優勝 8. 1997年2月10日 パリ カーペット (室内) マルチナ・ヒンギス 3–6, 6–3, 3–6
準優勝 9. 1997年8月11日 トロント ハード モニカ・セレシュ 2–6, 4–6
優勝 11. 2000年4月16日 リスボン クレー ナタリー・ドシー 6–2, 1–6, 7–5
優勝 12. 2000年7月17日 ソポト クレー ガラ・レオン・ガルシア 7–6(4), 6–3
準優勝 10. 2001年2月5日 パリ カーペット (室内) アメリ・モレスモ 6–7(2), 1–6
準優勝 11. 2001年5月26日 ストラスブール クレー シルビア・ファリナ・エリア 5–7, 6–0, 4–6

ダブルス: 4回 (1勝3敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1993年10月18日 ブライトン カーペット (室内) ラリサ・ネーランド ローラ・ゴラルサ
ナタリア・メドベデワ
3–6, 6–1, 4–6
優勝 1. 1997年5月4日 ハンブルク クレー マリー・ピエルス ルクサンドラ・ドラゴミル
イバ・マヨリ
2–6, 7–6(1), 6–2
準優勝 2. 1999年1月11日 シドニー ハード メアリー・ジョー・フェルナンデス エレーナ・リホフツェワ
杉山愛
3–6, 6–2, 0–6
準優勝 3. 1999年10月18日 モスクワ カーペット (室内) ジュリー・アラール=デキュジス リサ・レイモンド
レネ・スタブス
1–6, 0–6

4大大会シングルス成績

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 通算成績
全豪オープン 3R QF QF 4R 3R 4R F 4R SF 2R 1R A 33–11
全仏オープン A 3R 2R SF 4R 4R 4R 1R A A 4R 2R 21–9
ウィンブルドン 2R 4R 3R 4R 2R 4R 3R 3R A 1R 4R 4R 23–11
全米オープン 1R 2R 1R 3R 2R 4R 1R 3R 1R QF QF 3R 19–12

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