ナタリー・ドシーとは? わかりやすく解説

ナタリー・ドシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/26 20:53 UTC 版)

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ナタリー・ドシー
Nathalie Dechy
ナタリー・ドシー
基本情報
国籍 フランス
出身地 グアドループ島・レザビーム
生年月日 (1979-02-21) 1979年2月21日(40歳)
身長 178cm
体重 63kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1994年
引退年 2009年
ツアー通算 8勝
シングルス 1勝
ダブルス 7勝
生涯通算成績 621勝521敗
シングルス 430勝340敗
ダブルス 191勝181敗
生涯獲得賞金 $4,281,064
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト4(2005)
全仏 3回戦(1998・99・2001-03・
05・06)
全英 4回戦(1999・2005)
全米 4回戦(1998・2005)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト4(2009)
全仏 ベスト8(2000・03・06)
全英 ベスト4(2008)
全米 優勝(2006・07)
優勝回数 2(米2)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 準優勝(2009)
全仏 優勝(2007)
全英 ベスト8(2008)
全米 ベスト8(2006・07)
優勝回数 1(仏1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 11位(2006年1月9日)
ダブルス 8位(2007年5月21日)

ナタリー・ドシーNathalie Dechy, 1979年2月21日 - )は、フランスの女子プロテニス選手。フランス領のグアドループに生まれる。2006年2007年全米オープン女子ダブルスで2年連続優勝した選手で、2007年全仏オープンの混合ダブルス優勝もある。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ベースライン・プレーヤーで、オーバーヘッド・スマッシュ(自分の頭の上から打つスマッシュ)を最も得意にする。自己最高位はシングルス11位、ダブルス8位。WTAツアーでシングルス1勝、ダブルスで7勝を挙げた。「ドゥシー」「デシー」などの表記揺れも多い。

来歴

ドシーは父親がテニスと数学の教師で、母親もスポーツの教師という恵まれた家庭に育った。1994年にプロ入り。1995年に高校を中退し、プロテニス選手に専念する。同年の全仏オープンで、地元フランス人選手として主催者推薦を受け、4大大会にデビューした。2000年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのフランス代表選手になる。同年に2つのトーナメントで決勝に進んだが、どちらも準優勝で止まった。2003年1月にオーストラリアゴールドコーストの大会でツアー初優勝を果たしたが、これがドシーの唯一のシングルス・タイトルである。

ナタリー・ドシーのシングルス分野でのハイライトは、2005年全豪オープンでの準決勝進出である。この時ドシーは、4回戦で2004年全仏オープン優勝者のアナスタシア・ミスキナ、準々決勝ではスイスの実力者パティ・シュナイダーを破り、初めて4大大会のベスト4に勝ち残った。準決勝では第1シードのリンゼイ・ダベンポートから第1セットを 6-2 で奪ったが、第2セットのタイブレークを失い、最終第3セットでダベンポートに 4-6 と逆転されて決勝進出を逃した。全豪オープンで8強入りした2005年は、ウィンブルドン全米オープンでも4回戦に進み、全体的に好調なシーズンを送った。

2006年全豪オープンにて

2006年度の序盤戦ではつまずき、全豪オープンでは初戦敗退に終わる。2月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント2回戦で、第3シードのドシーは当年度から現役復帰したマルチナ・ヒンギスに 6-4, 5-7, 2-6 の逆転で敗れた。シングルスではしばらく不調が続いたが、全米オープンの女子ダブルスでドシーはベラ・ズボナレワとペアを組み、カタリナ・スレボトニクスロベニア)&ディナラ・サフィナロシア)組を 7-6, 7-5 で破って初優勝を決めた。

2007年全仏オープン混合ダブルス部門で、ドシーはアンディ・ラムイスラエル)とペアを組んで優勝し、2つ目のグランドスラム・タイトルを獲得した。ドシーとラムは、決勝で前年度優勝ペアのネナド・ジモニッチセルビア)&カタリナ・スレボトニク組を 7-5, 6-3 で破って初優勝を決めた。全米オープンの女子ダブルスでは、ドシーは(前年度は決勝でネット越しに戦っていた)ディナラ・サフィナとパートナーを組んだ。ドシーとサフィナは、決勝で台湾ペアの詹詠然&荘佳容組を 6-4, 6-2 で破り、ドシーは全米女子ダブルス2連覇を達成した。

ドシーは4大大会のシングルスに1996年全仏オープンから最後の試合出場になる2009年ウィンブルドン選手権まで54大会連続で出場した。これは杉山愛の62大会連続、フランチェスカ・スキアボーネの61大会連続に次ぎ、エレーナ・リホフツェワと並んで史上3位である。

2009年7月ドシーは妊娠と現役引退を発表。2010年1月長男を出産している。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 5回 (1勝4敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2000年2月27日 オクラホマシティ ハード モニカ・セレシュ 1–6, 6–7
準優勝 2. 2000年4月16日 リスボン クレー アンケ・フーバー 2–6, 6–1, 5–7
優勝 1. 2003年1月5日 ゴールドコースト ハード マリー=ガイアネ・ミカエリアン 6–3, 3–6, 6–3
準優勝 3. 2004年8月29日 ニューヘイブン ハード エレーナ・ボビナ 2–6, 6–2, 5–7
準優勝 4. 2008年8月17日 シンシナティ ハード ナディア・ペトロワ 2–6, 1–6

ダブルス: 14回 (7勝7敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2001年10月21日 ブラチスラヴァ ハード (室内) メイレン・ツー エレーナ・ボビナ
ダヤ・ベダノワ
3–6, 4–6
優勝 1. 2002年2月10日 パリ カーペット (室内) メイレン・ツー エレーナ・デメンチェワ
ヤネッテ・フサロバ
不戦勝
準優勝 2. 2002年2月17日 アントワープ カーペット (室内) メイレン・ツー パティ・シュナイダー
マグダレナ・マレーバ
3–6, 7–6, 3–6
準優勝 3. 2002年10月20日 ブラチスラヴァ ハード (室内) メイレン・ツー マヤ・マテブジッチ
ヘンリエッタ・ナギョワ
0–6, 4–6
準優勝 4. 2003年1月5日 ゴールドコースト ハード エミリー・ロワ マルチナ・ナブラチロワ
スベトラーナ・クズネツォワ
4–6, 4–6
準優勝 5. 2003年2月16日 アントワープ カーペット (室内) エミリー・ロワ 杉山愛
キム・クライシュテルス
2–6, 0–6
準優勝 6. 2004年10月31日 リンツ ハード
(室内)
パティ・シュナイダー ヤネッテ・フサロバ
エレーナ・リホフツェワ
2–6, 5–7
優勝 2. 2006年9月10日 全米オープン ハード ベラ・ズボナレワ ディナラ・サフィナ
カタリナ・スレボトニク
7–6(5), 7–5
優勝 3. 2007年5月14日 ローマ クレー マラ・サンタンジェロ タチアナ・ガルビン
ロベルタ・ビンチ
6–4, 6–1
優勝 4. 2007年9月9日 全米オープン ハード ディナラ・サフィナ 詹詠然
荘佳容
6–4, 6–2
優勝 5. 2009年1月5日 オークランド ハード マラ・サンタンジェロ ヌリア・リャゴステラ・ビベス
アランチャ・パラ・サントンハ
4–6, 7–6(3), [12–10]
準優勝 7. 2009年1月16日 シドニー ハード ケーシー・デラクア 謝淑薇
彭帥
0-6, 1-6
優勝 6. 2009年3月2日 モンテレイ ハード マラ・サンタンジェロ イベタ・ベネソバ
バルボラ・ザフラボバ・ストリコバ
6–3, 6–4
優勝 7. 2009年5月18日 ストラスブール クレー マラ・サンタンジェロ クレア・フュアーステイン
ステファニー・フォレッツ
6–0, 6–1

4大大会ダブルス優勝

  • 全仏オープン 混合ダブルス:1勝(2007年) [パートナー:アンディ・ラム]
  • 全米オープン 女子ダブルス:2勝(2006年・2007年) [パートナー:ベラ・ズボナレワ → ディナラ・サフィナ]

4大大会シングルス成績

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 通算成績
全豪オープン A LQ 1R 1R 1R 1R 1R 3R 3R 4R SF 1R 1R 1R 2R 13–13
全仏オープン 1R 2R 1R 3R 3R 1R 3R 3R 3R 1R 3R 3R 2R 2R 1R 17–15
ウィンブルドン A 1R 2R 1R 4R 3R 2R 3R 3R 3R 4R 1R 1R 2R 1R 17–14
全米オープン A 2R 2R 4R 1R 2R 2R 3R 2R 3R 4R 1R 1R 1R A 15–11

: 2003年全米2回戦と2004年全米3回戦の不戦敗は通算成績に含まない

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