アナスタシア・ミスキナとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 球技関係者 > テニスの関係者 > ロシアのテニス選手 > アナスタシア・ミスキナの意味・解説 

アナスタシア・ミスキナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 01:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アナスタシア・ミスキナ
Anastasia Myskina
アナスタシア・ミスキナ
基本情報
フルネーム Anastasia Andreyevna
Myskina
国籍 ロシア
出身地 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
生年月日 (1981-07-08) 1981年7月8日(39歳)
身長 174cm
体重 59kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1995年
引退年 2007年
ツアー通算 15勝
シングルス 10勝
ダブルス 5勝
生涯通算成績 455勝283敗
シングルス 355勝191敗
ダブルス 100勝92敗
生涯獲得賞金 $5,606,725
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(2003・04)
全仏 優勝(2004)
全英 ベスト8(2005・06)
全米 ベスト8(2003)
優勝回数 1(仏1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト4(2005)
全仏 3回戦(2004・06)
全英 3回戦(2006)
全米 1回戦(2003-05)
国別対抗戦最高成績
BJK杯 優勝(2004・05)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 2位(2004年9月13日)
ダブルス 15位(2005年2月21日)

アナスタシア・ミスキナ英語: Anastasia Myskinaロシア語: Анастасия Андреевна Мыскина1981年7月8日 - )は、ロシアモスクワ市出身の女子プロテニス選手。

2004年全仏オープン女子シングルス優勝者で、ロシア人の女子テニス選手として初の4大大会優勝を達成した。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス15位。WTAツアーでシングルス10勝、ダブルス5勝を挙げた。身長174cm、体重59kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

来歴

ミスキナはモスクワ市の名門クラブ「スパルタクラブ」で、アンナ・クルニコワエレーナ・デメンチェワと幼なじみだった(3人とも同じ年である)。このクラブは、旧ソビエト連邦時代の名選手オルガ・モロゾワがテニスコーチの夫とともに設立したものである。

2002年に女子テニス世界ランキングを59位から11位に上げ、世界トッププレーヤーの仲間入りをする。20歳を過ぎてからの急成長は、女子プロテニス界では比較的遅い。2003年全豪オープン全米オープンでベスト8に入り、22歳で世界トップ10入りを果たす。全豪オープンの準々決勝では、2003年2004年と2年連続でキム・クライシュテルスに敗退した。

2004年全仏オープンで、アナスタシア・ミスキナはロシア人の女子テニス選手として初の4大大会優勝を達成する。幼なじみのエレーナ・デメンチェワとの「ロシア対決」の決勝は女子テニス史上初の快挙であった。(ロシア人のテニス選手で初の4大大会シングルス優勝者は、1996年全仏オープン男子シングルスを制したエフゲニー・カフェルニコフである。ミスキナは最初の女子シングルス優勝者になった。)

この後、ミスキナはロシア代表選手としてアテネ五輪にも出場したが、女子シングルス準決勝でベルギー代表選手のジュスティーヌ・エナン=アーデンに敗れて「銅メダル決定戦」に回った。2人の準決勝敗退選手によって争われる銅メダル決定戦で、ミスキナはオーストラリア代表選手のアリシア・モリクに 3-6, 4-6 のストレートで敗れ、銅メダルも逃して4位に終わった。

ミスキナの全仏優勝に続いて、ウィンブルドン選手権ではマリア・シャラポワ全米オープンではスベトラーナ・クズネツォワが優勝し、2004年度の4大大会では「3大会連続」でロシア人の女子シングルス優勝者が誕生した。

2005年全豪オープンでダブルスの自己最高成績を出し、同じロシアのベラ・ズボナレワと組んで女子ダブルス4強入りを果たした。ミスキナとズボナレワは、準決勝でスベトラーナ・クズネツォワアリシア・モリクの組に 2-6, 3-6 で敗れた。ところが、全仏オープンでは1回戦でマリア・サンチェス・ロレンツォ(スペイン)に 4-6, 6-4, 0-6 で敗れ、全仏オープンの大会史上初めて、女子シングルスの前年度優勝者が1回戦で敗退する屈辱をなめた。この後、ミスキナはウィンブルドン2005年2006年で2年連続のベスト8に入ったが、準々決勝では2年連続でアメリ・モレスモに敗れた。

2007年初頭から、ミスキナは左足の故障に悩まされるようになる。2007年全仏オープンの1回戦でメガン・ショーネシーアメリカ)に 1-6, 0-6 で惨敗した試合が、最後のツアー出場になった。2008年4月、彼女はシングルマザーとして長男を出産した。2010年8月には次男を2012年3月には三男を出産した。現在はロシアでテレビの仕事を中心に活動している。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 19回 (10勝9敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 1999年7月18日 パレルモ クレー アンヘレス・モントリオ 3–6, 7–6(3), 6–2
準優勝 1. 2002年6月16日 バーミンガム エレナ・ドキッチ 2–6, 3–6
準優勝 2. 2002年6月22日 イーストボーン チャンダ・ルビン 1–6, 3–6
優勝 2. 2002年9月14日 バイーア ハード エレニ・ダニリドゥ 6–3, 0–6, 6–2
準優勝 3. 2002年9月29日 ライプツィヒ カーペット (室内) セリーナ・ウィリアムズ 3–6, 2–6
優勝 3. 2003年2月16日 ドーハ ハード エレーナ・リホフツェワ 6–3, 6–1
優勝 4. 2003年4月6日 サラソタ クレー アリシア・モリク 6–4, 6–1
優勝 5. 2003年9月28日 ライプツィヒ カーペット (室内) ジュスティーヌ・エナン=アーデン 3–6, 6–3, 6–3
優勝 6. 2003年10月5日 モスクワ カーペット (室内) アメリ・モレスモ 6–2, 6–4
準優勝 4. 2003年11月2日 フィラデルフィア ハード (室内) アメリ・モレスモ 7–5, 0–6, 2–6
優勝 7. 2004年3月6日 ドーハ ハード スベトラーナ・クズネツォワ 4–6, 6–4, 6–4
優勝 8. 2004年6月3日 全仏オープン クレー エレーナ・デメンチェワ 6–1, 6–2
準優勝 5. 2004年8月1日 サンディエゴ ハード リンゼイ・ダベンポート 1–6, 1–6
優勝 9. 2004年10月17日 モスクワ カーペット (室内) エレーナ・デメンチェワ 7–5, 6–0
準優勝 6. 2005年8月14日 ストックホルム ハード カタリナ・スレボトニク 5–7, 2–6
優勝 10. 2005年9月25日 コルカタ カーペット (室内) カロリナ・スプレム 6–2, 6–2
準優勝 7. 2006年5月27日 イスタンブール クレー シャハー・ピアー 6–1, 3–6, 6–7(3)
準優勝 8. 2006年6月24日 イーストボーン ジュスティーヌ・エナン=アーデン 6–4, 1–6, 6–7(5)
準優勝 9. 2006年8月13日 ストックホルム ハード 鄭潔 4–6, 1–6

ダブルス: 6回 (5勝1敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2003年10月5日 モスクワ カーペット (室内) ベラ・ズボナレワ ナディア・ペトロワ
メガン・ショーネシー
3–6, 4–6
優勝 1. 2004年9月19日 バリ ハード 杉山愛 スベトラーナ・クズネツォワ
アランチャ・サンチェス・ビカリオ
6–3, 7–5
優勝 2. 2004年10月17日 モスクワ カーペット (室内) ベラ・ズボナレワ ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
パオラ・スアレス
6–3, 4–6, 6–2
優勝 3. 2005年9月25日 コルカタ カーペット (室内) エレーナ・リホフツェワ ネハ・ウベロイ
シーカ・ウベロイ
6–1, 6–0
優勝 4. 2005年10月9日 フィルダーシュタット ハード (室内) ダニエラ・ハンチュコバ クベタ・ペシュケ
フランチェスカ・スキアボーネ
6–0, 3–6, 7–5
優勝 5. 2006年5月7日 ワルシャワ クレー エレーナ・リホフツェワ アナベル・メディナ・ガリゲス
カタリナ・スレボトニク
6–3, 6–4

4大大会優勝

大会 対戦相手 試合結果
2004年 全仏オープン エレーナ・デメンチェワ 6-1, 6-2

4大大会シングルス成績

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A P WG Z# PO G S SF-B NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, P=開催延期
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, SF-B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 通算成績
全豪オープン A A A 2R QF QF 4R 4R A 14–5
全仏オープン A 1R 1R 1R 2R W 1R 4R 1R 11–7
ウィンブルドン A 3R 2R 3R 4R 3R QF QF A 18–7
全米オープン 2R 1R 1R 3R QF 2R 3R 1R A 10-8

: 2005年全豪3回戦の不戦勝は通算成績に含まない

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アナスタシア・ミスキナ」の関連用語

アナスタシア・ミスキナのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アナスタシア・ミスキナのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアナスタシア・ミスキナ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS