アリシア・モリクとは? わかりやすく解説

アリシア・モリク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/17 04:25 UTC 版)

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アリシア・モリク
Alicia Molik
アリシア・モリク
基本情報
国籍 オーストラリア
出身地 同・アデレード
生年月日 (1981-01-27) 1981年1月27日(37歳)
身長 182cm
体重 72kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1996年
引退年 2011年
ツアー通算 12勝
シングルス 5勝
ダブルス 7勝
生涯通算成績 560勝422敗
シングルス 346勝248敗
ダブルス 214勝174敗
生涯獲得賞金 $3,185,805
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(2005)
全仏 3回戦(1999・2006)
全英 3回戦(2003・04)
全米 3回戦(2001・03)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(2005)
全仏 優勝(2007)
全英 ベスト4(2007)
全米 ベスト8(2005)
優勝回数 2(豪1・仏1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 2回戦(2001)
全仏 ベスト8(2004)
全英 準優勝(2004・07)
全米 準優勝(2004)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 8位(2005年2月28日)
ダブルス 6位(2005年6月6日)
獲得メダル
女子 テニス
オリンピック
2004 アテネ シングルス

アリシア・モリクAlicia Molik, 1981年1月27日 - )は、オーストラリアアデレード出身の女子プロテニス選手。2004年アテネ五輪で女子シングルスの銅メダルを獲得した選手である。4大大会でも、女子ダブルスで2005年全豪オープン2007年全仏オープンの2勝があり、混合ダブルスでは3度の準優勝があった。自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス6位。WTAツアーでシングルス5勝、ダブルス7勝を挙げた。身長182cm、体重72kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。日本語では「アリシア・モリック」と表記されることも多い。

来歴

1996年にプロ入り。1998年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップオーストラリア代表選手となり、オリンピックは2000年シドニー五輪2004年アテネ五輪の2大会連続で出場した。2003年1月に地元オーストラリア・ホバートの大会で女子ツアーのシングルスに初優勝。長い間地味な存在の選手だったが、オリンピック直前の2004年8月第1週にスウェーデンストックホルムで行われた大会でツアー2勝目を果たすと、アテネ五輪でも波に乗って勝ち進み、シングルス準々決勝で日本杉山愛を 6-3, 6-4 のストレートで破った。準決勝ではフランス代表のアメリ・モレスモに 6-7, 3-6 で敗れ、準決勝敗退選手の2人で争われる「銅メダル決定戦」に回ったが、そこで当年度の全仏オープン優勝者アナスタシア・ミスキナを 6-3, 6-4 で破り、モリクが女子シングルスの銅メダル獲得選手となった。

オリンピックをはさんで、モリクは2004年ウィンブルドン全米オープンで2大会連続の混合ダブルス準優勝を記録した。パートナーはどちらも、同じオーストラリアの先輩選手トッド・ウッドブリッジであった。その後、彼女は10月末に室内コートの大会で2週連続優勝を成し遂げ、スイスチューリヒ大会の決勝では当年度のウィンブルドン優勝者マリア・シャラポワルクセンブルク大会の決勝ではディナラ・サフィナを破った。

2005年度は年頭にオーストラリアシドニーの大会でツアー5勝目を挙げる。その後、全豪オープンでアリシア・モリクは選手経歴のハイライトを迎えた。シングルスでは自己最高の準々決勝でリンゼイ・ダベンポートに 4-6, 6-4, 7-9 の大激戦で敗れたが、ロシアスベトラーナ・クズネツォワとペアを組んだダブルスで雪辱を果たし、決勝でダベンポートとコリーナ・モラリューのペアを 6-3, 6-4 で破って4大大会初優勝を決めた。全豪オープン終了後、モリクはシングルスで自己最高の「8位」にランクされ、オーストラリア出身の女子テニス選手としてウェンディ・ターンブル以来の世界ランキングトップ10入りを果たした。

ところが、テニス経歴のピークにあった時にモリクは慢性の前庭神経炎(英語:vestibular neuronitis)に見舞われ、4月過ぎからトーナメントで早期敗退が多くなった。これは内耳性の疾患で、この病気に冒されると、テニスに必要な視野とバランスの確保が難しくなる。モリクは発病後も体調の様子を見ながら何度かトーナメント出場を試みたが、結局うまくゆかず、しばらく病気療養のためテニスツアーへの参戦を断念する意向を表明した。

アリシア・モリクは2006年5月からツアーに本格復帰を果たし、10月の「ジャパン・オープン」にも出場した。2007年全仏オープンで、モリクはマラ・サンタンジェロイタリア)と女子ダブルスのペアを組み、決勝で杉山愛&カタリナ・スレボトニク組を 7-6, 6-4 で破って優勝した。モリクにとっては、病気からの復帰後初のタイトル獲得で、2005年全豪オープン以来2つ目の4大大会女子ダブルス優勝になった。この後ウィンブルドンの混合ダブルスでヨナス・ビョルクマンスウェーデン)とペアを組んだ準優勝がある。

2度目のオリンピック出場となった2008年北京五輪では、シングルスは1回戦でスペイン代表のマリア・ホセ・マルティネス・サンチェスに 1-6, 1-6 で完敗し、ケーシー・デラクアと組んだ女子ダブルスでも1回戦でイタリア代表のフラビア・ペンネッタ&フランチェスカ・スキアボーネ組に 4-6, 4-6 で敗退している。

オリンピック終了後の2008年9月4日、アリシア・モリクは27歳で現役引退を表明したが、2009年8月に現役復帰を発表し、選手活動を再開した。2011年全豪オープンが最後の公式試合となった。

2011年2月にモリクは結婚し、2012年1月に第1子の長男を出産した[1]2013年からフェドカップのオーストラリア代表監督を務めている。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 9回 (5勝4敗)

大会グレード
グランドスラム (0–0)
ティア I (1–0)
ティア II (1–1)
ティア III (1–1)
ティア IV & V (2–2)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2003年1月12日 ホバート ハード エミー・フレージャー 6–2, 4–6, 6–4
準優勝 1. 2003年4月6日 サラソタ クレー アナスタシア・ミスキナ 4–6, 1–6
準優勝 2. 2003年4月20日 ブダペスト クレー マギ・セルナ 6–3, 5–7, 4–6
準優勝 3. 2004年3月22日 ウィーン クレー アンナ・スマシュノワ 2–6, 6–3, 2–6
優勝 2. 2004年8月8日 ストックホルム ハード タチアナ・ペレビニス 6–1, 6–1
優勝 3. 2004年10月24日 チューリッヒ ハード (室内) マリア・シャラポワ 4–6, 6–2, 6–3
優勝 4. 2004年10月31日 ルクセンブルク ハード (室内) ディナラ・サフィナ 6–3, 6–4
優勝 5. 2005年1月15日 シドニー ハード サマンサ・ストーサー 6–7(5), 6–4, 7–5
準優勝 4. 2005年2月21日 ドーハ ハード マリア・シャラポワ 6–4, 1–6, 4–6

ダブルス: 16回 (7勝9敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2000年1月16日 ホバート ハード キム・クライシュテルス リタ・グランデ
エミリー・ロワ
2–6, 6–2, 6–3
準優勝 2. 2003年6月15日 バーミンガム マルチナ・ナブラチロワ エルス・カレンズ
メイレン・ツー
5–7, 4–6
準優勝 3. 2003年8月23日 ニューヘイブン ハード マギ・セルナ ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
パオラ・スアレス
6–7, 3–6
準優勝 4. 2004年4月5日 アメリアアイランド クレー ミリアム・カサノバ ナディア・ペトロワ
メガン・ショーネシー
6–3, 2–6, 5–7
優勝 1. 2004年6月19日 イーストボーン マギ・セルナ スベトラーナ・クズネツォワ
エレーナ・リホフツェワ
6–4, 6–4
優勝 2. 2004年8月8日 ストックホルム ハード バルバラ・シェット エマニュエレ・ガグリアルディ
アンナ=レナ・グローネフェルト
6–3, 6–3
優勝 3. 2004年11月7日 フィラデルフィア ハード
(室内)
リサ・レイモンド リーゼル・フーバー
コリーナ・モラリュー
7–5, 6–4
優勝 4. 2005年1月29日 全豪オープン ハード スベトラーナ・クズネツォワ リンゼイ・ダベンポート
コリーナ・モラリュー
6–3, 6–4
優勝 5. 2005年2月21日 ドーハ ハード フランチェスカ・スキアボーネ カーラ・ブラック
リーゼル・フーバー
6–3, 6–4
準優勝 5. 2005年3月5日 ドバイ ハード スベトラーナ・クズネツォワ ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
パオラ・スアレス
7–6, 2–6, 1–6
優勝 6. 2005年3月21日 マイアミ ハード スベトラーナ・クズネツォワ リサ・レイモンド
レネ・スタブス
7–5, 6–7(5), 6–2
準優勝 6. 2006年5月27日 イスタンブール クレー サニア・ミルザ アナスタシア・ヤキモワ
アリョーナ・ボンダレンコ
2–6, 4–6
準優勝 7. 2007年2月24日 ドバイ ハード スベトラーナ・クズネツォワ カーラ・ブラック
リーゼル・フーバー
6-7, 4-6
準優勝 8. 2007年5月26日 ストラスブール クレー 孫甜甜 鄭潔
晏紫
3–6, 4–6
優勝 7. 2007年6月12日 全仏オープン クレー マラ・サンタンジェロ カタリナ・スレボトニク
杉山愛
7–6(5), 6–4
準優勝 9. 2007年8月12日 ロサンゼルス ハード マラ・サンタンジェロ クベタ・ペシュケ
レネ・スタブス
0–6, 1–6

4大大会ダブルス優勝

  • 全豪オープン 女子ダブルス:1勝(2005年) [パートナー:スベトラーナ・クズネツォワ]
  • 全仏オープン 女子ダブルス:1勝(2007年) [パートナー:マラ・サンタンジェロ]
  • ウィンブルドン 混合ダブルス準優勝:2度(2004年・2007年) [パートナー:トッド・ウッドブリッジ → ヨナス・ビョルクマン]
  • 全米オープン 混合ダブルス準優勝:1度(2004年) [パートナー:トッド・ウッドブリッジ]

4大大会シングルス成績

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 通算成績
全豪オープン 1R 3R 1R 1R 1R 4R QF A 3R 2R A 1R 2R 13–11
全仏オープン 3R 1R 1R 1R 1R 1R A 3R 1R A A 1R A 4–9
ウィンブルドン 1R 2R 2R 1R 3R 3R A 2R 2R A A 2R A 9–9
全米オープン 1R 2R 3R 2R 3R 2R 1R 1R 1R A A 1R A 7–10

脚注

外部リンク





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