九八式装甲運搬車
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 16:43 UTC 版)
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基礎データ | |
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全長 | 3.81m |
全幅 | 1.92m |
全高 | 1.61m |
重量 | 自重 4.05t 全備 5.2t |
乗員数 | 2名 |
装甲・武装 | |
装甲 | 前面 12mm、側面 10mm |
主武装 | 非武装 |
備考 | 最大積載量 約1t |
機動力 | |
速度 | 40km/h |
エンジン | 空冷直列4気筒ディーゼル 最大 65hp / rpm |
懸架・駆動 | 装軌式 |
行動距離 | km |
データの出典 | 佐山(2002年)、574-575頁。 |
九八式装甲運搬車(98しきそうこううんぱんしゃ)は、第二次世界大戦において大日本帝国陸軍が使用した装甲輸送車両。九七式軽装甲車を原型とし、最前線での弾薬輸送用として開発された。
解説
日本陸軍は、最前線での弾薬輸送車両として、トレーラー牽引式の九四式軽装甲車を制式化していた[1]。しかし、九四式軽装甲車は実際には豆戦車として使用されることが多かったため、その後継車両の九七式軽装甲車は当初から豆戦車として開発することになった。そして、弾薬輸送用には、九七式軽装甲車の設計を流用した専用車両が別に開発されることとなった。その結果、1938年(昭和13年、皇紀2598年)に制式化されたのが九八式装甲運搬車である。
九八式装甲運搬車は、九七式軽装甲車の開発試案のうちエンジンを車体前部の操縦席右側に配置した第一案を原型としている[2]。この第一案は1937年(昭和12年)9月に池貝自動車製造(池貝鐵工所の子会社、後の小松製作所川崎工場)が試作したものであるが、操縦手と車長の連携が難しくなることや車内温度の上昇が激しいことが問題視されて、九七式軽装甲車では不採用となった形式であった[3]。エンジンを車体前部に配置したことで、空いた車体後部を利用して物資搭載用のオープントップの装甲貨物室が確保されており、九四式軽装甲車のようなトレーラー式ではなくなった。車体後部に扉が設けられており、助手席から後扉を開けて弾薬などの物資を突き落とすことで、乗車したまま最前線でも安全に荷卸ができるようになっていた[2]。
九七式軽装甲車とは異なって、砲塔などの固定武装を備えていない。
車体後端には火砲牽引用のフックがあり、砲兵トラクターとして一式機動四十七粍速射砲の牽引が可能だった。試製機動五十七粍砲の牽引実験も行われている[2]。小型の装甲牽引車という性格は、ソビエト連邦のコムソモーレツ牽引車に相当する[2]。
関連車両
同系統の九七式軽装甲車の派生車両として、一〇〇式観測挺進車(テレ)がある[4]。
また、九八式装甲運搬車の弾薬輸送任務と、一式機動四十七粍速射砲の牽引車としての任務を兼ねた同系統の車両として、試製一式小型牽引車(ソケ)が、1941年(昭和16年)3月に研究開始された。1944年(昭和19年)に本車と同じく池貝自動車製造によって試作車が製作されている[5]。
脚注
参考文献
- 斉藤浩(編)、宗像和弘(本文)『帝国陸海軍の戦闘用車両』デルタ出版〈別冊戦車マガジン〉、1992年。
- 佐山二郎『機甲入門-機械化部隊徹底研究』光人社〈光人社NF文庫〉、2002年。
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「Type 98 So-Da」の例文・使い方・用例・文例
- エディは1980年来ビバリーヒルズに住んでいる
- 1998年6月23日にいなくなるまで彼女はオークランドに住んでいた
- その歌手は1980年代のポップミュージックのアイドルだった
- その法令は1984年に公布された
- 彼は1980年の夏に生まれた
- 彼女は1998年までスペインに住んだ
- 私は今でも1989年に発売された初代ゲームボーイを持っています。
- ペレストロイカは1980年代後半に始まった。
- そのフォトジャーナリストは1989年にピューリツァー賞を受賞した。
- バンコマイシン耐性腸球菌は1986年に発見された。
- 1重力加速度単位は980.665ガルに等しい。
- 1980年代、多くの反アパルトヘイト活動家が反逆罪で逮捕された。
- 無菌動物を育てる最初の試みは1985年に着手された。
- 冷たい暗黒物質に関する理論は1984年に最初に出版された。
- ボリンジャーバンドは1980年代、ジョン・ボリンジャーによって生み出された予想変動率を測るのに最も有益な指標のひとつである。
- 1987年のブラックマンデーショックは、ウォール街のみならず、世界中を震撼させた。
- 1987年のブラックマンデー以降、株式先物取引規制が強化された。
- 飛ばしは、1980年代まで証券会社によって損失補填の手段として利用されていました。
- 物品税は間接消費税の1つで、1989年に廃止された。
- ベンチャー企業を対象とした第2店頭株市場は1995年に創設され、1998年に廃止された。
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