Paul Bearerとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Paul Bearerの意味・解説 

ポール・ベアラー

(Paul Bearer から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/07 10:09 UTC 版)

ポール・ベアラー
2011年1月
プロフィール
リングネーム ポール・ベアラー
パーシー・プリングル3世
ミスターX
ジ・エンバルマー
ドクター・リゴー・モーティス
本名 ウィリアム・アルヴィン・ムーディ(ビル・ムーディ)
ニックネーム ファーザー・オブ・デストラクション
誕生日 1954年4月10日
死亡日 (2013-03-05) 2013年3月5日(58歳没)
出身地 アメリカ合衆国
アラバマ州
モービル郡モービル
デビュー 1974年
テンプレートを表示

ポール・ベアラーPaul Bearer、本名:William Alvin Moody1954年4月10日 - 2013年3月5日)は、アメリカ合衆国プロレスリング・マネージャーアラバマ州モービル出身。

WWEブラザーズ・オブ・デストラクションことジ・アンダーテイカーおよびケインのマネージャーとして知られ、彼らの父親であるという設定から、ファーザー・オブ・デストラクションThe Father of Destruction)の異名を持つ。

来歴

1974年、地元アラバマガルフ・コースト地区にてプロレスラーとしてデビュー。当時は覆面を被り、ミスターXMr. X)などのリングネームジョバーを務めていた。その後レスラーを廃業してアメリカ空軍に入隊。1976年の除隊後に、葬儀ディレクターの資格を取得している[1]

1977年よりプロレス界に復帰し、パーシー・プリングル3世Percy Pringle III)を名乗りヒールマネージャーに転身。1979年6月には、ザ・モンゴリアンズのマネージャーとして国際プロレスの『'79ビッグ・サマー・シリーズ』に初来日。騒々しくホイッスルを吹き鳴らし、凶器でモンゴリアンズを援護するなどの悪党マネージャーぶりを発揮し、7月10日に宮城県涌谷町で行われたマイティ井上&アニマル浜口対モンゴリアンズのIWA世界タッグ王座戦でも再三試合に介入したが、浜口の怒りを買って制裁を受けている[2]

1980年代前半はプロレスリング・ビジネスを離れ葬儀業に専念していたが[1]1985年よりフルタイムのマネージャー業に復帰。以降1980年代全般に渡り、ダラスWCCWフロリダCWFなど南部NWA圏を中心に活動。WCCWでは若手時代のアルティメット・ウォリアー(当時ディンゴ・ウォリアー)やスティーブ・オースチン、そして覆面レスラーのザ・パニッシャーを名乗っていたマーク・キャラウェイのマネージャーも務めた。

1991年ブラザー・ラブに代わるジ・アンダーテイカーの新しいマネージャーとしてWWFと契約。アンダーテイカーのギミックに合わせ、骨壺を手に喪服を着た白塗りの従者という、副業の葬儀業をデフォルメしたスタイルのポール・ベアラーPaul Bearer)に変身する[3]。トークの才能を活かし、フューネラル・パーラーThe Funeral Parlor)なるインタビュー・コーナーも担当した。

1996年

1992年、共闘していたジェイク・ロバーツとの仲間割れを機に揃ってベビーフェイスに転向。以降、アンダーテイカーとの怪奇派コンビでニュージェネレーション期に入った1990年代のWWFを支えた。1996年からはアンダーテイカーを裏切ってヒールターンし、ベイダーマンカインドケインらをマネージメントしてアンダーテイカーとの抗争に臨んだ。異父兄弟という設定のアンダーテイカーとケインの抗争アングルでは、ベアラーはケインの実父であり、アンダーテイカーの母親に彼を産ませたというサイドストーリーも設けられた。

1998年10月にアンダーテイカーがヒールターンするとコンビを復活させ、1999年には怪奇派ユニットのミニストリー・オブ・ダークネスThe Ministry of Darkness)を編成。ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、ザ・ロックD-ジェネレーションXらアティテュード期のWWFスーパースターズと抗争を繰り広げた。

2000年からはロード・エージェントやステージ・マネージャーなどの裏方業務も担当。2002年の契約満了後はTNAに登場したが、ジム・ロスの要請で2004年よりWWEと再契約。アメリカン・バッド・アス路線からデッドマンのギミックに戻ったアンダーテイカーのマネージャーを務めた。

2007年にWWEを離れ、ホームタウンのガルフ・コーストで葬儀サービス事業を手掛けつつ[4]、インディー団体へのスポット出場を続けた。一時期はかなりの肥満体だったものの、後年は110kg程度まで減量することに成功した[4]

2010年秋、9月21日収録のスマックダウンにおいて短期間ながらWWEに復帰。ケインと抗争中のアンダーテイカーのマネージャーとして登場したが、10月3日のPPVヘル・イン・ア・セル2010』にてアンダーテイカーを裏切りケインと再合体した。ケインがアンダーテイカーを破った直後、エッジに拉致され車椅子に縛り付けられた状態で人質となり、散々な仕打ちを受けた挙句、エッジの計略でケイン自身によって高所から突き落とされることとなり、ここでの出番を終えた。

その後は2012年4月、ケインとランディ・オートンの抗争アングルにおいて登場。実父のボブ・オートン・ジュニアを襲撃したケインへの報復として、ランディによって冷凍室の中に監禁されていたところを、一度はケインに救出されたかに見えたが、"I'm saving you...from me." という台詞を浴びせられ、ケインの手で再び冷凍室の中に押し戻された。

2013年3月5日心臓発作で死去[5]。58歳没。没後の2014年WWE殿堂に迎えられ、実子のダニエル・ムーディとマイケル・ムーディが式典に出席。最後はアンダーテイカーが登場し、形見の骨壷を掲げて敬意を払った[6]

エピソード

  • 1979年6月の国際プロレス来日時は東京サミットの開催時期でもあり、成田空港では厳戒態勢が敷かれていたため、不審人物として入国審査に引っ掛かったことがある。空港からベアラーの身元について問い合わせを受けた国際プロレスは、サミット終了までの日程と宿泊先のリストを提出させられたという。当時のリングアナウンサーだった飯橋一敏(現プロレスリング・ノア)は、「それだけ怪しい男だった」と述懐している[7]。なお、この件によってベアラー(プリングル3世)とザ・モンゴリアンズはシリーズの開幕戦(6月21日の水戸大会)に間に合うことができず、第2戦(6月23日の後楽園ホール大会)からの出場となった[8]
  • パーシー・プリングル3世の名義で活動していた1980年代、漫画作品『プロレス・スターウォーズ』において、当時アメリカで実際にマネージメントしていたミッシング・リンクのマネージャーとして、本人役で登場している。

担当選手

パーシー・プリングル3世

右はリック・ルード(1985年)

ポール・ベアラー

脚注

  1. ^ a b Percy's Biography”. Percy Pringle.com. 2009年10月27日閲覧。
  2. ^ ファンの憎しみを買った名物マネジャー”. 東スポweb. 2016年3月15日閲覧。
  3. ^ 葬儀で棺を担ぐ人のことを指す"pallbearer"に由来。
  4. ^ a b Catching up with Paul Bearer”. WWE.com (April 11, 2007). 2009年10月27日閲覧。
  5. ^ Paul Bearer Heart Attack Killed Him”. TMZ Sports (March 23, 2013). 2015年5月22日閲覧。
  6. ^ Paul Bearer Bio”. WWE.com. 2014年4月17日閲覧。
  7. ^ 『Gスピリッツ Vol.11』P59「実録・国際プロレス」(2009年、辰巳出版ISBN 4777806502
  8. ^ IWE 1979 Big Summer Series”. Puroresu.com. 2016年3月15日閲覧。

外部リンク


「Paul Bearer」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Paul Bearer」の関連用語

Paul Bearerのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Paul Bearerのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのポール・ベアラー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS