EF30形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:37 UTC 版)
「関門トンネル (山陽本線)」の記事における「EF30形」の解説
国鉄EF30形電気機関車は、九州地方の交流電化に伴い開発された、交直両用の電気機関車である。関門トンネルの九州側出口にあたる門司駅構内で交流電化と直流電化の接続をすることになり、この区間の接続用として開発された。当時の技術では大出力の交流・直流両対応の機関車を制限された重量の範囲内で製作することは大変困難であり、交流で運転時の出力は直流時に比べて4分の1となる設計で制限に収めたが、交流で走行するのは門司駅構内からの短区間だけであり問題ないとされた。海水を被る対策として、ステンレス鋼製の車体を採用している。出力はEF10形より増大したが、引張力は大きく変わらず、結果として速度が10km/h程度上がっており、旅客列車の中にはこれにより関門間の所要時間が短縮したものもあった。運用はEF10形の時代と変わらず、旅客列車を1両で下関 - 門司間を、貨物列車を2両重連で幡生操車場 - 門司操車場間をそれぞれ牽引した。 1960年(昭和35年)3月19日に1号機が落成し、米原機関区に配置されて北陸本線の交直接続設備の試験を行った。1961年(昭和36年)4月に門司機関区に転属し、8月からは量産機が配置されて順次営業運転を開始して、10月1日から本格的に使用が開始された。運用開始当初はEF10形を同数で置き換えて17両体制であった。1963年(昭和38年)10月に東小倉駅に小荷物センターが開設されたことから、東小倉駅まで運用が拡大された。輸送需要の増加に対応して1965年(昭和40年)と1968年(昭和43年)にそれぞれ2両と3両が増備され、最終的に22両となった。1978年(昭和53年)に試作車であった1号機が廃車となり、1984年(昭和59年)からは量産車の廃車も始まった。1987年(昭和62年)3月29日に「お別れ運転」を門司港駅 - 遠賀川駅間で実施して、EF30形の全車両の運用が終了した。 「国鉄EF30形電気機関車」も参照
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