CV‐1
ラングレー (CV-1)
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ラングレー (英語: USS Langley, CV-1/AV-3) は[5]、アメリカ海軍が保有した最初の航空母艦[6][7]。 就役時はプロテウス級給炭艦ジュピター (英語: USS Jupiter, AC-3) であった[8][注釈 1]。 1920年(大正9年)3月から航空母艦に改造され、1922年(大正11年)3月に再就役した[10][注釈 2]。 艦名はサミュエル・ラングレー博士にちなむ[12]。最大速力15ノット程度の本艦は低速のため戦艦や巡洋艦の艦隊行動に追従できず、単艦での行動や、練習空母として用いられた。[13][注釈 3]。
注
- ^ [ラングレーの性能]ラングレーは一萬二千五十噸 長さ百五十八米、幅二十米、備砲十二.七糎砲四門、一九一三年に出來上つた給炭艦で初めジュピターといひましたが一九二二年改装して水上機母艦となつたものでアジア艦隊に属し大東亞戰爭開戰直後ミンダナオ島のダヴァオ沖で我が海鷲に爆撃され猛攻にたまりかねて逃れようとしたところをトドメを刺されたのです[9]。
- ^ (二)列國の代表的航空母艦 米國航空母艦ラングレー[11] ラングレーは給炭船ジュピターを改造したもので、此のジュピターは大正元年に進水し、大正九年から十年の間に航空母艦として改造されたものであるが、此の艦は全長五百四十二呎、幅六十五呎、平均吃水二十八呎、排水量一九,三六〇噸で、機關はタルビン電氣推進の二個推進器であり、試運轉速力十五節である。/此の艦給炭船時代の船艙は、今や悉く飛行機の最大搭載容積を與ふる如く變更されたのであつて、追撃用一人乗飛行機十二臺、弾着觀測用二人乗飛行機十二臺、魚雷落下用飛行機四臺と魚雷用水上飛行機六臺とを搭載するものと信ぜられ居る。/附図は航空母艦ラングレーの飛行甲板を上空から撮影したものであるが、圖に於て見るが如く必要具を除くの外一の障碍物なき平々坦々たる甲板で、此の要具といふのは歸着した飛行機を引掛け、最短時間で之を停止せしめる爲、甲板に装着してあるマントレットのことである。又甲板の両側に沿うて網棚を設けたのが見えるが、此處は作業に從事する乗員が飛行機發着の際、退避するを得る爲に設けたものである。
- ^ 米國は大戰後給炭船ジュピターを改造して航空母艦ラングレーとして、實驗中であつたが、華府會議後巡洋戰艦サラトガ及レキシントンの二隻を航空母艦に改造し、昭和二年の夏完成した。ラングレーは、排水量一万二千七百噸、速力十五節で小型飛行機四十八機を搭載して居る。(以下略)[14]
- ^ ○ラングレー(寫眞左)航空母艦で排水量は一萬一千五百トン、速力十五ノットで大型飛行艇母艦として使用されてゐた[17]。
- ^ ○米空母の造艦史[16] 空母の元祖は一般にイギリスと解されてゐる。これは一九一七年に英海軍が大型巡洋艦を改造して初めて航空母艦フユーリアスを建造した事實に基くものであるが、むしろ空母の着想に先鞭をつけたのは米海軍であつた。即ち、英海軍が一九一一年一一月戰艦アフリカに航空甲板を造つて試驗飛行を行つたのに先立ち、米海軍はその一年前の一九一〇年一一月に巡洋艦バーミンガムの甲板を改造して實驗を試みた結果、發艦に成功、翌一一年一月には着艦にも成功してゐる。/第一次大戰後の一九二〇年には給炭艦ジユピターを改造して、戰闘機、雷撃機、水上機等合計卅三機搭載の空母ラングレーを仕立てたが、同艦は一九三七年以來大型水上機母艦として使用されるに至り(搭載機廿四)、大東亞戰前にはアジア艦隊に所属、開戰後の一九四二年二月、ジヨンストン西方海上でわが潜水艦の餌食となつた。
その後、ワシントン會議の結果廢棄すべき巡洋戰艦を改造して作つたのが、レキシントン、サラトガの二大空母であつた。この兩艦も大東亞開戰後レキシントンは一九四二年一月十二日ハワイ西方六〇〇浬の海上で、サラトガは珊瑚海々戰においてヨークタウンと共に帝國海軍の手で撃沈されたが、その性能は排水量三三,〇〇〇トン、電氣推進機速度卅四ノット、搭載機平時八〇、戰時一三五等最新科學の粹を集め、米の對日進攻作戰における大きなホープであつた。(中略)その後、一九三一年にはレーンジヤーが起工され、次いで一九三四年には條約量一杯の建艦を目指す第一次ヴィンソン案に基きエンタープライズ、ヨークタウンの二隻が起工された。即ち、この兩艦に既存のサラトガ、レキシントン、ラングレー、レーンジヤを加え條約量の十三萬五千トンに近い十三萬二千〇〇トンの空母陣が形成されることとなつた。
然るに、支那事變勃發に對するアメリカの緊急措置として、條約量二割増加を企圖した第二次ヴインソン案により、空母陣は更に二隻四萬トンを加へることとなり、ホーネット、エセックスの兩艦が起工された。これより先ラングレーの代艦として一九三六年にワスプが起工され、三九年十二月に就役してゐる。/次いで一九四〇年に至り東亞情勢の緊迫に備へて空母陣の増強を主とする第三次ヴィンソン案が計畫され、ボンホーム・リチャード、イントレピット、キャセージの三隻が起工されることとなつた。(以下略) - ^ イギリス海軍はアルミランテ・ラトーレ級戦艦を改造して空母イーグルを建造した[35](1918年6月進水、1920年4月竣工)[36]。日本海軍は空母鳳翔を建造した[37](1920年起工、1922年12月竣工)[36]。
- ^ 『世界の艦船』は、煙突が起倒式となった1925年に改められたとしている[1]。
- ^ 〔米國〕航空母艦ラングレー[56] 全長542呎 幅65呎 吃水19呎 排水量12,700噸 速力15節 備砲5吋-4門 搭載飛行機34臺 飛行機用爆彈275個 魚雷2個を搭載す 本艦は舊給炭艦ジュピターを改造したものである (飛行甲板中央のエレベーターを下げた状態のラングレー写真掲載)
- ^ 航空母艦“鳳翔 ほうしやう”[58] 全要目{排水量7,470噸 速力25.0節 備砲14糎砲4門 8糎高角砲2門 起工大正8年12月 竣工大正11年12月 建造所淺野造船所} 鳳翔は大正11年12月に竣工した我海軍最初の航空母艦であり而も最初より航母として計畫されたものである。航空母艦は由來その型式に於て二種に分つことが出來る。即ち我が海軍の赤城、加賀、鳳翔、龍驤の如く飛行甲板上に何一つ邪魔物のないフラッシュデッキ型と、米國の“サラトガ”“レキシントン”英國の“ハームス”等の如くマストや大砲、煙突等を何れか一舷側に集めたアイランド型である。各々長短があるのであるが飛行機の發着にはフラッシデッキ型の方が便利とされてゐる。更にこれを我が海軍の4隻に就いて見ると赤城、加賀の2艦は三段式で龍驤は二段式になつてゐるのに獨り鳳翔は前後一枚の飛行甲板を以つて覆はれてゐるが、艦の操縦は他の3隻の方が便利であると云はれてゐる。
- ^ 『世界空母物語』73頁「第3表 英米空母要目表」ラングレーの要目では「艦戦12、偵察12、艦攻9、補用機不明」とする[59]。『歴史群像、アメリカの空母』188頁では「艦戦12、観測機12、艦攻4」とする[4]。『世界の艦船』は33機とする[1]。
- ^ 日本軍はラングレーがミンダナオ島ダバオにいると判断していたので、第四航空戦隊の空母龍驤でラングレーを攻撃するつもりだった[69]。だが開戦直前にミンダナオ島近海の偵察を実施した結果、艦船や飛行機を発見しなかった[70]。小型飛行艇母艦のチャイルズかプレストンが停泊しているとの情報を得ている[71]。
- ^ 〔 三日一九〇〇16S司令官|三日一九五五 2KF参謀長 大海参第三部長 (2F参謀長 GF参謀長)[75] 16S機密第四四番電「クリスマス」島ヨリ連行セル俘虜(「ラングレー」運用長)ノ言ニ依レバ 一.「ラングレー」ハ二月二十二日「フリマントル」發Whipple及Edsallの護衛駆逐艦ヲ伴ヒ戰斗機三十二台搭載「チラチヤツプ」ニ輸送回航ノ途中「チラチヤツプ」ノ南方八十浬ニ於テ二月二十七日九機及七機編隊ノ爆撃ヲ受ケ數彈命中火災浸水シ人命ヲ護衛艦ニ救助セル後護衛艦ノ雷撃ニ依リ沈没セリ
二.二月二十八日クリスマス島ニテ本人ハ護衛艦ノ救助人員處理打合ノ爲特務艦ニ派遣ノ途中三機編隊ノ爆撃機来襲シ護衛艦及特務艦至急出港シ本人ハ取残サレタリ/三.「ラングレー」行動概要(着發)十二月八日「マニラ」發 バリックパパン(十五日 十八日) マカツサル(二十一日 二十四日) スラバヤ(二十六日 三十一日) ポートダーウイン(一月四日 二月十一日) フリマントル二月十九日着 〕 - ^ ABDA司令部隷下のABDA海軍部隊 (ABDAFLOAT) 指揮官。1945年9月2日の降伏文書調印式におけるオランダ代表。
- ^ 本来ならば2月28日にココス諸島付近でイギリス軽巡エンタープライズ (HMS Enterprise,D52) が船団に合流して護衛を引き継ぎ、フェニックスがラングレーとシーウィッチの護衛艦となる計画だった[79]。
- ^ ラングレーに置いてきぼりにされたシーウィッチは、2月28日チラチャップに入港した[80]。だがスラバヤ沖海戦とバタビア沖海戦に敗れていた連合国軍は大混乱に陥っており、せっかく輸送したP-40もジャワ島攻防戦で活用されなかった[80]。
- ^ (昭和17年2月28日記事)[81]〔 ○第二空〔襲〕部隊(二六-二二三〇)一二五五バリ島160°~250°間400′索敵。空母(「龍驤」型?)「フューリアス」又ハ特空母ヲ発見セル外、敵ヲ見ズ。〕
- ^ 『戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦』476ページでは陸攻16機とする[84]。
- ^ (昭和17年4月4日記事)[105]〔 [上欄]○クリスマス島ニ「ラングレー」運用長アリ、俘虜トス。「ラングレー」ハ開戦後南下シ「マカッサル」「バタビア」等ヲ経テ「パース」ニ至リ、再ビ北上中ヲ二月二十七日ジャバ南方海面ニテ陸上攻撃機九機ノ攻撃ヲ受ケ、乗員駆逐艦二隻ニ避退、駆逐艦ノ雷撃ニテ沈メ「クリスマス」島ニ避難セルヲ、再ビ空襲セラレ至急出港シテ、運用長ノミハ取残サレタリ。〕
- ^ (昭和17年2月28日記事)[93]〔 ○傍受 米艦ガ『「ラングレー」ガ十六機ノ敵機ニヨリ爆撃ヲ受ケツヽアリ』ト平文ヲ打ツ。「ラングレー」ハ先キニ「マーシャル」東方デ沈メタコトニナツテヰル。「ジャバ」南方海面ダカラ今度ノ方ガホントラシイ。〕
- ^ 【大本營發表】(一月十四日午後三時)帝國潜水艦は十二日夕刻ハワイ西方洋上において米國太平洋艦隊所属航空母艦「レキシントン」型一隻(三萬三千トン)を雷撃、魚雷二本命中を確認したるところ、敵驅逐艦の制壓をうけ潜没せるため該航空母艦の沈没を確認するに至らざりしも、潜没中二回にわたる大爆發を聴音せるをもつて同艦は沈没せること確實なるものと認む(註)潜没とは潜水艦の必要に應じ急速に潜望鏡もろとも潜航する動作をいふ。【大本營發表】(一月九日午後六時)(一)帝國海軍潜水艦は一月八日ジョンストン島西南部洋上において米國軍艦ラングレーを撃沈せり (二)一月七日早朝伊豆半島沖に於て第一雲海丸は敵潜水艦の魚雷攻撃を受け船體に損傷を被りたるも同船乗員は全部無事なり【寫眞上は太平洋上に活躍する殊勲のわが潜水艦】[17]。
- ^ さきに(二月)十八日、わが海軍航空部隊は、スラバヤの大空襲に於て、米英蘭聯合空軍の大半を撃滅したが、その後引きつゞき二十五日まで、蘭印全土とニューギニア島所在の残存航空兵力の撃滅を期し、敵機計九十九機を撃墜破した。二十七日スラバヤ沖海戰に先ち、わが海軍航空部隊はバリ島附近の海上に於て、敵特設航空母艦を攻撃し、之に命中彈六を浴びせて大火災を生ぜしめ、同艦艦上に待機の敵機約三十及び格納庫搭載中の飛行機全部を、爆破炎上せしめ、又警戒中の敵大型飛行艇二機を撃墜した[111]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 写真:アメリカ海軍「〈写真特集〉アメリカ空母発達史 1922-2022」『世界の艦船』第981集(2022年10月特大号) 海人社 P.22-23
- ^ 「昭和16.12~18.12大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1/昭和17年2月」 アジア歴史資料センター Ref.C16120656600 p.10(昭和17年2月)〔 28|1515|チラチャップ ノS80′ニテ ラングレー ラシキモノ爆撃|南西|浸水傾斜 警戒中ノdガ自ラ ラングレー ヲ雷撃沈没セシム 〕
- ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 188aアメリカの空母主要目一覧/ラングレー
- ^ a b 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 188b.
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- ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 3(ラングレー写真および解説)
- ^ a b 大内、護衛空母入門 2005, pp. 56a-57第7図 航空母艦ラングレーの外形図
- ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 40艦隊型空母 ラングレー〔CV-1〕
- ^ 大東亜戦争戦况解説、シンガポール陥落まで 1942, p. 41(原本64頁)
- ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, pp. 83a-84「ジュピター」改造の初の米空母「ラングレー」
- ^ 海軍参考年鑑、大正13年版 1924, pp. 31–32(原本27-29頁)
- ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 15.
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- ^ a b 中島、航空母艦 1930, p. 8(原本7頁)
- ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 265–266衣がえする旧式空母
- ^ a b c d 細川、米海軍 1944, pp. 53–55(原本85-88頁)
- ^ a b ハワイ海戰マレー沖海戰 1942, p. 33(原本42-43頁)
- ^ a b 福井、世界空母物語 2008, pp. 199–120米国の水上機母艦/◇ラングレー(Langley AV-3)
- ^ a b 戦史叢書24 1969, pp. 321–323開戦時における米比軍の配備
- ^ a b 戦史叢書24 1969, pp. 327–329アジア艦隊
- ^ a b 戦史叢書26 1969, pp. 475–478基地航空部隊、空母ラングレーを撃沈
- ^ #ジュピター見学報告 pp.2-3〔 (イ)本船ハ米國カリホルニヤ州メヤーアイランド海軍造船所ニテ建造シ一九一二年八月二十四日ノ進水ニ係リ其ノ要目ノ概要左ノ如シ/長 五四二呎|幅 六五呎|載貨吃水(平均) 二七呎八吋|排水量 二〇,〇〇〇噸(概略ヲ云ヒシナラン軍令部常報ニヨレハ一九三六〇噸)|最大載炭量 一二,〇〇〇噸(〃 一〇四五七噸)/最大重油搭載量 二,〇〇〇噸(〃 二九三二噸)/最大速力 一四節(全力公試ノ結果一五節ヲ得タリ)/経濟速力 一〇節/乗員 准士官以上一六人 下士卒三〇〇人 〕
- ^ #ジュピター見学報告 pp.4-5
- ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, pp. 80a-84水上機から艦上機搭載へ、空母「ラングレー」誕生
- ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 47–51発着艦実験
- ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 49.
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- ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 81a艦載機から空母艦上機へ
- ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, pp. 16–17イギリス/フューリアス FURIOUS
- ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 57–60◇フューリアス(Furious)
- ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, p. 18イギリス/アーガス ARGUS
- ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 20.
- ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 261–262海戦様式が生みだしだ新艦種
- ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 239–240史上初の空母を生んだ大英帝国
- ^ 福井、世界空母物語 2008, pp. 62–64◇イーグル(Eagle)
- ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 308.
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- ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, pp. 81b-82具体化する航空母艦の整備
- ^ a b c d 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 82b.
- ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 82a-83新造を見送り既成刊改造で早期の空母整備を決定
- ^ a b c 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 16.
- ^ 大内、護衛空母入門 2005, p. 53.
- ^ a b c d e f 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 83b.
- ^ 海軍参考年鑑、大正13年版 1924, p. 32(原本28頁)(米國航空母艦ラングレー)
- ^ 大内、護衛空母入門 2005, pp. 54a-55第6図 航空母艦アーガスの外形図
- ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 158カタパルト(射出機)
- ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 159.
- ^ a b c d e f g 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 84b.
- ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, pp. 160–161着艦制動装置
- ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 163.
- ^ 大内、護衛空母入門 2005, pp. 54b-55.
- ^ a b 大内、護衛空母入門 2005, pp. 56b-57.
- ^ 中島、航空母艦 1930, pp. 7–8原本5頁(第二圖 英國航空母艦イーグル)、原本6頁(第三圖 英國航空母艦ハーミス)
- ^ #列国海軍造艦術現状 pp.14-15〔 (3)米國 米國ノ航空母艦ヘノ第一歩ハ一九二一年海軍給炭船「レンヂヤー」(註、ラングレー)ノ航空母艦ヘノ改造方ヲ命ゼラレタルニ始マル最近完成セル一四,五〇〇噸型「レンヂヤー」ハ最初FLUSE DECK TYPEナリシガ其ノ後計畫變更サレISLAND TYPEトナリタリ「ヨークタウン」級ハ恐ラクISLND TYPEナルベシ 〕
- ^ 世界の艦船、航空母艦全史 2008, p. 20b.
- ^ 軍艦写真帖 1927, p. 131(米國航空母艦ラングレー)
- ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 72.
- ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 43原本68-69頁(航空母艦 鳳翔)
- ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 73.
- ^ 中島、航空母艦 1930, pp. 27–28原本44-46頁(日米英仏伊航空母艦要目表)
- ^ 福井、世界空母物語 2008, p. 70.
- ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 41.
- ^ a b 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 17.
- ^ #列国海軍造艦術現状 p.13〔 三、航空母艦(1)一般事項(中略)新型航空母艦トシテ米國ニ在リテハ昨年完成セル一四,五〇〇噸型ノ「レンヂヤー」及目下建造中ノ二〇,〇〇〇噸型ノ「ヨークタウン」竝ニ「エンタープライズ」アリ英國ニテハ「アークロイヤル」(現存ノ水上機母艦ノ名稱ヲトル)ノ建造ニ着手セリト云フ 〕
- ^ a b 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 18.
- ^ 戦史叢書24 1969, p. 118.
- ^ 永井、木俣, 115、116ページ
- ^ 戦史叢書24 1969, p. 163.
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- ^ 戦史叢書24 1969, p. 220.
- ^ 戦史叢書24 1969, pp. 173–174攻撃計画
- ^ 戦史叢書24 1969, pp. 183–184戦果判断
- ^ 戦史叢書24 1969, pp. 184–185十二月九日
- ^ a b c d #S1703十六戦隊日誌(4) pp.40-42(ラングレー行動報告)
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- ^ 日本空母戦史 1977, p. 164.
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- ^ 高松宮日記4巻 1996, p. 203.
- ^ #S1703十六戦隊日誌(4) pp.27-29(4月1日2330X攻略部隊指揮官)〔 X攻略部隊機密第三九番電 X攻略部隊戰斗概報第二號(四月一日)九.監禁中ノ米人一人ハ「ラングレー」運用長ニシテ捕虜トシテ名取ニ移乗内地便イテ送致スル予定 〕
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- ^ 海軍要覧 1944, p. 232(原本434頁)翌八日わが潜水艦は、あたかもその仇を報ずるが如く、遠く太平洋のジョンストン島西南方海面に於て、米水上機母艦ラングレー(二,〇五〇噸)を撃沈した。同艦は米海軍最初の航空母艦で、現に米太平洋艦隊に属し、米國海軍航空隊の爲には、敵ながら随分貢献したものであつた。
- ^ 「昭和16.12~18.12大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1/昭和17年1月」 アジア歴史資料センター Ref.C16120656500 p.1(昭和17年1月)〔 8|0710|イ25ジョンストン ノ240°S540′ニ於テ米ラングレー撃沈| |後デ特設航空母艦or特設航空機運搬艦ノ誤リト判明 〕
- ^ 瀬名, 138、139ページ。「大東亜戦争大本営発表(防衛省防衛研究所)/撃沈・撃破・沈没」 アジア歴史資料センター Ref.C16120680600 p.3(昭和17年3月7日綜合戦果より)〔 2-27(バリ島沖)特空母1ヲ含ム 〕
- ^ 海軍要覧 1944, p. 212(原本392頁)
- 1 ラングレー (CV-1)とは
- 2 ラングレー (CV-1)の概要
- 3 水上機母艦
- 4 参考文献
- 5 関連項目
- CV-1のページへのリンク