CBSニュースでのキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 15:55 UTC 版)
「ドン・ヒューイット」の記事における「CBSニュースでのキャリア」の解説
それからほどなく、テレビ放送の制作を手伝う「映像経験者」を募集していたCBSテレビが、ヒューイットに好条件のオファーをした。ヒューイットは、1948年にCBSのニュース部門であるCBSニュースに入社し、ダグラス・エドワーズ(英語版)が司会を務める夕方のニュース番組のディレクターに就任した。ヒューイットはそれから14年間、この時間帯のニュース番組にディレクターやプロデューサーとして関わった。また、1951年に始まったエドワード・R・マローとフレッド・W・フレンドリー(英語版)の共同制作による『シー・イット・ナウ(英語版)』の初代ディレクターも務めた。この番組でヒューイットは、2台のフィルム映写機で前後にカットするという手法を用い、これによって、コメンテーターの単調さを解消し、編集を改善し、将来のニュース放送を形作った。1956年、ヒューイットは客船「アンドレア・ドーリア」の沈没の最後の瞬間を唯一フィルムに収めた。 ヒューイットは、1960年9月26日にシカゴのCBSスタジオで行われた、ジョン・F・ケネディ上院議員とリチャード・ニクソン副大統領による大統領選挙の第1回討論会のテレビ放映の演出を担当した。これは、史上初のテレビ放映された大統領選挙討論会だった。その後、ウォルター・クロンカイト司会の『CBSイブニングニュース』のエグゼクティブ・プロデューサーに就任した。 1968年に、ヒューイットは『60ミニッツ』を開始した。この番組は、開始から10年で全米視聴率トップ10に入り、その後22シーズンのうち21シーズン、1999-2000年シーズンまでその地位を維持した。また、エミー賞を8回受賞した。 ヒューイットは、1996年に『60ミニッツ』においてタバコ会社ブラウン・アンド・ウィリアムソン(B&W)社の内部告発者ジェフリー・ワイガンドの主張を報じた際の中心人物である。この報道に端を発するタバコ産業のスキャンダルは、1999年の映画『インサイダー』のモチーフとなった。この映画では、フィリップ・ベイカー・ホールがヒューイットの役を演じた。2002年、『60ミニッツ』の視聴率が低下し、数十年にわたって視聴率トップ10に入っていた番組が20位にまで落ち込んだこともあり、CBSは『60ミニッツ』のトップの座をヒューイットから交代させるべきではないかという議論が世間で起きた。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、『60ミニッツII(英語版)』のプロデューサーのジェフ・フェイガー(英語版)が後任候補として浮上していると報じ、実際にフェイガーが就任した。この番組からは未だに年間2千万ドル以上の利益が生み出されていたが、視聴率と収益の低下により、「経営陣を無視して巨額の報酬を要求するような、孤島のような番組」ではなくなってしまった。 ヒューイットは81歳でエグゼクティブ・プロデューサーの座を降り、CBSと10年契約を結んでCBSニュースの特別エグゼクティブ・プロデューサーに就任した。 ヒューイットの死後の2010年1月、『60ミニッツ』はヒューイットの追悼特集を放送した。 2018年、CBSの内部調査により、1990年代にヒューイットが当時のCBS社員に対して何年にもわたって性的暴行を繰り返したと訴えられていたことが判明した。CBSは、この社員の申し立てが信憑性のあるものであると判断し、2018年までに500万ドル以上の和解金を支払った。
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