CBSソニー(オデッセイレーベル)所属期
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「吉田拓郎」の記事における「CBSソニー(オデッセイレーベル)所属期」の解説
1972年1月にCBSソニーに移籍し、アーティスト兼プロデューサーとして契約を結ぶ。移籍と同時に発売した「結婚しようよ」がオリコンチャート3位、40万枚以上を売り上げた。それまで長髪の若者たちの反体制的な音楽としてしか見られていなかったフォークが一躍普通の音楽として認知された。それまでサブカルチャーだったフォークが、メインカルチャーへ浮上する分岐点になり、画期的な“音楽シーン”を作り上げる第一歩を記す。さらに「旅の宿」もヒットしたことで作曲の依頼が舞い込んだ。モップスに「たどりついたらいつも雨降り」や、猫に「雪」「地下鉄に乗って」を提供し、拓郎はフォーク歌手としてだけでなく売れっこの作曲家となり、人気が高まった。2月26日に公開された近代放映製作・東宝配給の映画『百万人の大合唱』(須川栄三監督)の劇中、「今日までそして明日から」を歌唱。6月には長野県軽井沢の「聖パウロ教会」で四角佳子と結婚式を挙げた。「町の教会で結婚しようよ」など、若者の新しいライフスタイルを表現した歌は、ブライダル業界にも大きな影響を与えた。同月、CBSソニーとプロデューサー契約を結び、ワンマンレーベル『Odyssey』を立ち上げ、バックバンドだった猫をデビューさせたり、ロックやフォーク、歌謡曲、演歌歌手に楽曲プロデュースを行うなど音楽プロデューサーとしての地位も上げていく。 1973年1月には、前年バックバンドを務めた柳田ヒロのグループを発展させ新六文銭を結成。5月23日に、4月18日の金沢公演の夜に女子大生に暴行されたと訴えられ、逮捕される。8日間の拘留後、女子大生の虚偽であることが判明して不起訴となり、6月2日に釈放された。釈放の翌日に、神田共立講堂のステージに立つ。しかし、マスコミのバッシングにあい、ツアーのキャンセル、曲の放送禁止、他人への提供曲も放送禁止、CM(スバル・レックス(富士重工)、テクニクス(松下電器))の自粛といった処置がとられた。そんな中でも「明星」編集部は、不起訴後、いち早く拓郎の独占自筆手記を掲載した。この金沢事件で女性ファンは一気に減ったが、デビュー直後に執拗な“帰れコール”を浴びせた男性ファンが戻ってきた。 拓郎は、梓みちよに「メランコリー」、1974年1月15日に、森進一に「襟裳岬」を提供する。この「襟裳岬」は同年の第16回日本レコード大賞を受賞する快挙となったが、当時国民的な大イベントであったレコード大賞の授賞式に拓郎は上下ともジーンズの普段着で登場し、平然と賞を受け取ったため物議を醸した。
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