CBSソニー所属期とは? わかりやすく解説

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CBSソニー(オデッセイレーベル)所属期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:11 UTC 版)

吉田拓郎」の記事における「CBSソニー(オデッセイレーベル)所属期」の解説

1972年1月CBSソニー移籍しアーティストプロデューサーとして契約を結ぶ。移籍同時に発売した「結婚しようよ」オリコンチャート3位40万枚以上を売り上げたそれまで長髪若者たち反体制的音楽としてしか見られていなかったフォーク一躍普通の音楽として認知された。それまでサブカルチャーだったフォークが、メインカルチャー浮上する分岐点になり、画期的な音楽シーン”を作り上げる第一歩を記す。さらに「旅の宿」もヒットしたことで作曲依頼舞い込んだモップスに「たどりついたらいつも雨降り」や、「雪」地下鉄に乗って」を提供し拓郎フォーク歌手としてだけでなく売れっこの作曲家となり、人気高まった2月26日公開され近代放映製作・東宝配給映画百万人の大合唱』(須川栄三監督)の劇中、「今日までそして明日から」を歌唱6月には長野県軽井沢の「聖パウロ教会」で四角佳子結婚式挙げた。「町の教会結婚しようよ」など、若者新しライフスタイル表現した歌は、ブライダル業界にも大きな影響与えた同月CBSソニープロデューサー契約を結び、ワンマンレーベル『Odyssey』を立ち上げバックバンドだったデビューさせたり、ロックフォーク歌謡曲演歌歌手楽曲プロデュースを行うなど音楽プロデューサーとして地位上げていく。 1973年1月には、前年バックバンド務めた柳田ヒログループ発展させ新六文銭結成5月23日に、4月18日金沢公演夜に女子大生暴行されたと訴えられ逮捕される8日間の拘留後、女子大生虚偽であることが判明して不起訴となり、6月2日釈放された。釈放翌日に、神田共立講堂ステージに立つ。しかし、マスコミバッシングにあい、ツアーキャンセル、曲の放送禁止他人への提供曲放送禁止CMスバル・レックス富士重工)、テクニクス松下電器))の自粛といった処置がとられた。そんな中でも「明星編集部は、不起訴後、いち早く拓郎独占自筆手記掲載した。この金沢事件女性ファン一気減ったが、デビュー直後執拗な帰れコール”を浴びせた男性ファン戻ってきた。 拓郎は、梓みちよに「メランコリー」、1974年1月15日に、森進一に「襟裳岬」を提供する。この「襟裳岬」は同年第16回日本レコード大賞受賞する快挙となったが、当時国民的な大イベントであったレコード大賞授賞式拓郎上下ともジーンズ普段着登場し平然と賞を受け取ったため物議を醸した

※この「CBSソニー(オデッセイレーベル)所属期」の解説は、「吉田拓郎」の解説の一部です。
「CBSソニー(オデッセイレーベル)所属期」を含む「吉田拓郎」の記事については、「吉田拓郎」の概要を参照ください。

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