ASMSからイージスへとは? わかりやすく解説

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ASMSからイージスへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 07:21 UTC 版)

イージスシステム」の記事における「ASMSからイージスへ」の解説

タイフォン計画失敗受けて1963年11月より先進水上ミサイル・システム(ASMS)計画開始された。タイフォンの轍を踏まないため、本格的な開発着手するまえに、まず1965年1月よりASMS評価グループ編成してコンセプト開発行った。この任務のため、ASMSプロジェクト室のほか、海軍省海軍兵器局艦船局および研究所、JHU/APL、競合する各社ベル研究所陸軍防空庁から選りすぐり要員集められた。そしてその指揮官として、既に退役していたフレデリック・ウィシントン少将が非常の措置として呼び戻された。 海軍要求に応じて各社提出した28個の提案書はウィシントン評価チームによって吟味され、まず7社が選ばれた。1968年には、RCAジェネラル・ダイナミクスGD)、ボーイングの3社に絞り込まれた。そして1969年12月最終的にRCA社が選定され主契約となった同年、ASMS計画イージス計画改称した1967年発生したエイラート撃沈事件1970年ソ連が行なったオケアン70演習受けて開発加速された。とくに、オケアン70演習においては90以内100発もの対艦ミサイル集中して着弾させる飽和攻撃実演され従来防空システム限界確認された。 前準備なしに洋上試験入って失敗したタイフォン・システム失敗踏まえ1972年ニュージャージー州ムーアズタウンのランコカス地区RCA構内にあったアメリカ空軍レーダー実験施設借り受けて地上テストサイトLand Based Test Site, LBTS;現在はCombat System Engineering Development Site, CSEDS)が建設された。1973年より、まずSPY-1レーダー試作機アンテナ1面のみ)が取り付けられ試験重ねられたのち、戦術情報処理装置などその他のシステム統合されて、システム全体試作機にあたる技術開発モデル1号機Engineering Development Model 1, EDM-1)としての試験入った地上での航空機追尾試験などを経て1975年にはEDM-1を実験艦「ノートン・サウンド」に移設しての洋上試験開始された。同艦では、LBTSではシミュレータ代用されていたミサイル発射機(艦隊現用Mk.26発射機およびSM-1ミサイル)なども搭載され、ほぼ実艦への搭載に近い状況下で、太平洋上で総合的な試験くりかえされた。このとき、ミサイル発射試験初弾早くもインターセプト成功したほか、高速目標対す迎撃能力レーダーの対妨害能力の高さが注目されたと伝えられている。

※この「ASMSからイージスへ」の解説は、「イージスシステム」の解説の一部です。
「ASMSからイージスへ」を含む「イージスシステム」の記事については、「イージスシステム」の概要を参照ください。

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