AASHOと沿線各州による再調整(1925年から1926年まで)
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「アメリカ国道」の記事における「AASHOと沿線各州による再調整(1925年から1926年まで)」の解説
発足以降各地で賛否両論が起きたが、概ね幹線道路の沿線自治体では賛成、路線から外れてしまった地域では反対意見が多かった。Auto trailの草分け、リンカーン・ハイウェイ協会では、保有路線を可能な限り国道30号線として指定してもらったこともあり、国道建設計画を支持した。ただ他のauto trailの運営者はこれまで自社路線が担ってきた役割を新設の国道に代替されてしまうことを恐れ反対した。1926年1月14日から15日にかけて行われた公聴会でAASHOに非難が殺到した。 ノースイースト地方では、ニューヨーク州が従来通り路線の削減を求めたのに対し、南隣のペンシルベニア州は(ちなみに当州は前述の地域会合には参加していない)AASHOに、より緻密な路線網の策定を求めた。結果的に6路線がニューヨークとペンシルベニアの州境で途切れることになってしまった(その後路線のニューヨーク州内への延長が行われた。現在も州境で途切れたままになっているのは220号線のみで、ペンシルベニアからニューヨークに渡ってすぐのニューヨーク州道17号線(近く州間高速道路86号線に昇格予定)との交差点付近で途切れている)。また20号線がイエローストーン国立公園で途切れてしまっていることからアイダホ、オレゴン両州が国立公園から先西海岸までの区間を30号線と入れ替えるよう求めた。 主に各地で議論になったのは、ほぼ同規模の道路が併走している場合にどちらを国道に指定するかという問題だった。特にかつてのauto trail同士の競合区間でこうした問題が顕著だった。1月の会合でAASHOは初めて2路線(40号線キャンザス州マンハッタン-コロラド州リモン間、及び50号線キャンザス州ボールドウィン-同ガーデン・シティー間)に併走区間を認めた。これを発端に、後大量の併走区間を生み出してしまうことになる。公式の路線一覧ではUS 40 North, US 40 Southのように記録されているが、案内上はUS 40NやUS 40Sのように略記されている。 各地域レベルでの論争もさることながら、一番の争点となったのは60号線の扱いだった。合同委員会の方では当初60号線をロサンゼルス-シカゴ間の道路とする予定で、ロサンゼルスを出た後、オクラホマ州都オクラホマ・シティーまで東進し、その後北東方向に大きく向きを変え、終点シカゴへ向かう予定であった。また原案ではイリノイ州内を東西方向ではなく南北方向に進むようになっていた。この案にケンタッキー州は猛反発した。当州は幹線級の東西方向の路線が通らず、62号線が通るだけの計画になっていた。そこで、原案の60号線沿線各州の了承を得られ次第、原案の62号線と52号線のケンタッキー州アッシュランド以東の区間が新60号線とされ、62番は旧60号線ロサンゼルス-シカゴ間の新番号とすることが決められた。ところが原案で60号線が通ることになっていたミズーリ、オクラホマ両州は調整案に反対した。ミズーリ州では既に地図を刷ってしまっており、オクラホマ州では既に道路標識を準備してしまっていた。譲歩案として、60号線をミズーリ州スプリングフィールドで分岐して60号東線、60号北線とする案が出されたが、3州とも反対している。結局、62号線を66号線とすることで決着した。主要幹線用の番号ではないものの、きりのいい番号と言うことでケンタッキー州の了承を取り付けた。 既に32州が路線の整備に取り掛かる中、1926年11月11日にAASHOは最終計画を了承した。最終案には、譲歩の末、併走区間のある路線や途中区間がつながっていない路線(6、19、50号線等)、州の境でぷっつりと途切れてしまっている路線(先述)などが含まれていた。ペンシルベニア州では初版の路線一覧表が出版される際に、既存のauto trailに番号を割り振るために道路番号の大幅な再調整が行われた。また15号線はバージニア州まで延長された。
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