A事件・B事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:48 UTC 版)
「大阪連続バラバラ殺人事件」の記事における「A事件・B事件」の解説
第1の被害者は当時46歳・主婦A(大阪市東住吉区西今川二丁目在住)で、Aは夫と子供3人がいたが、1985年5月14日に家出してから西成区内の立ち飲み店で偽名で働いていた。加害者Kは1985年5月下旬ごろに被害者Aが働いていた立ち飲み店を客として訪れ、Aを食事に誘い2人で店外に出たが、自宅マンションでAに飲酒を注意したところ、反抗されたため絞殺した。被害者Aの遺体は被疑者Kの逮捕後(1995年5月29日)に兵庫県神戸市西区平野町の雑木林(国道175号から西へ入った林道沿い)でバラバラ遺体として発見された。 第2の被害者は当時19歳・女性B(大阪府富田林市の知的障害者施設寮生)で、1985年4月16日17時ごろに施設の寮を出てから行方不明になっていた。KはA殺害から1か月後となる1985年6月16日に通天閣付近で被害者Bと出会い、同日14時ごろに2人で浪速区内の寿司店を訪れた。その後、KはBを自宅へ連れ帰ったが、被害者Bから小遣いとして10,000円を要求されたことに立腹し、15時ごろに室内で馬乗りになってBの首を両手で絞め、Bを殺害。室内にカーペット・ビニールシートなどを敷き、部屋にあったのこぎり・包丁などで被害者Bの遺体をバラバラに切断し、段ボール箱に入れてレンタカーで運び遺棄した。 1985年6月17日18時30分ごろに奈良県北葛城郡広陵町三吉の農道脇で切断された被害者Bの遺体が発見され、奈良県警察が殺人・死体遺棄・死体損壊事件と断定して高田警察署に捜査本部を設置し捜査していた。一方で加害者Kは事件発覚から3か月後の1985年9月、グリコ・森永事件を模倣して「怪人22面相」の署名入りの挑戦状を高田署の署長宛てに送った。一方でその後、自身の行きつけのスナックに奈良県警の捜査員が聞き込みに来たことを知って東京方面に逃げ、挑戦状の消印日に使用された東海道新幹線(新大阪駅発東京駅行き)の使用済み切符を同封した釈明状を実名で送った。 先述の手紙の内容は「捕まえられるものなら捕まえてみろ」などと警察を挑発する文言のほか、殺害前に被害者Bを連れて行った寿司店の名前、遺体をどの部分から切断したかなど、犯人しか知り得ない情報が含まれていた。奈良県警が被害者Bの足取りを捜査したところ、実際にBは遺体で発見される前に中年男性(後に加害者Kと判明)とともに浪速区内の寿司店を訪れていたほか、遺体切断の状況も「挑戦状」に書かれた内容と一致していたため、県警は「手紙は犯人からの物」として捜査していた。
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