A事件発覚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:12 UTC 版)
「広島タクシー運転手連続殺人事件」の記事における「A事件発覚」の解説
A事件発生後・発覚前の1996年4月20日に被害者Aの母親がAの持っていたポケットベルへ発信したところ、居場所は明確ではなかったが応答があったほか、翌21日午後には海田警察署員が安芸郡海田町南部の路上で被害者Aの定期券(呉市営バス)を発見した。 1996年5月6日16時30分ごろ、広島市安佐南区沼田町大塚の林道沿い水路で山菜採りをしていた近隣住民が全裸で倒れている女性の腐乱死体を発見して110番通報した。広島県警察捜査一課・広島北警察署(現:安佐南警察署)は殺人・死体遺棄事件として捜査を開始し、遺体発見現場の状況などから「車を使用した犯行」とみて不審な人物・車両の目撃者などを捜査した。遺体の死亡時期は腐乱状況などから死後約1週間 - 6か月以内と推測され、遺体発見翌日(5月7日)の司法解剖でネックレス・左耳に着けたピンクのピアス・歯の治療痕などが確認されたが、外傷確認・死因特定はできず、現場周辺を捜索しても身元特定の手がかり(着衣など)は発見できなかった。 初動捜査で女性の身元を特定する手掛かりが発見できなかったため、1996年5月8日に広島県警(捜査一課・広島北署)は「捜査が長期化する可能性が高い」として捜査本部を設置し、164人態勢で捜査に当たった。捜査本部は同日に解剖・鑑定の結果「女性の血液型はO型」「盲腸には手術痕がある」と断定したほか、歯4本の治療痕に着目して広島県歯科医師会に対し「遺体の特徴に該当する患者がいるかどうか情報を提供してほしい」と要請したほか、下側5番目の小臼歯2本について「先天性欠如歯」に該当する女性患者がいないかどうかを重点的に調べた。 1996年5月13日になって「Aの母親」と名乗る女性の声で広島北署捜査本部に「娘がいなくなっている」と電話があったため、捜査本部が遺体の特徴などを調べたところ、血液型(O型)・身に着けていた装飾品(ネックレス・ピアスなど)が少女Aの特徴と酷似していた。また捜査本部が少女A宅に残された指紋・髪を遺体と照合したり、虫垂炎の手術痕・胸のX線写真などを照合するなどしたところ、翌日(1996年5月14日)に「遺体の身元は被害者A」と断定された。 被害者Aの遺体は自宅・学校・アルバイト先から離れた場所で衣服を身に着けていない状態で発見されたため、捜査本部は「車などで運ばれて現場に遺棄された可能性がある」と推測し、被害者Aの交友関係を中心に聞き込み捜査を行ったが、遺体発見当日までの足取りについて有力情報は得られなかった。そのため広島北署捜査本部は被害者Aの写真が入ったチラシ6,000枚を製作し、1996年5月31日からそのチラシを広島市内を中心に(Aが事件前に行った可能性がある)呉警察署・広警察署・海田警察署・西条警察署の各管内などに貼り出して情報提供を求めたが、その後は有力な情報提供がないまま未解決事件となっており、後にHが自供した時点では迷宮入り寸前だった。
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