事件発覚まで
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母親は離婚後大阪市西区のマンション(母親の勤務先である風俗店が賃借していた物件、投資用ワンルームマンション)に移ったが、子供の世話をしなくなっていた。この時子供を残し、わずかな食料を置き交際相手と過ごすようになり長期間家を空けることもあった。 2010年6月9日頃、居間の扉に粘着テープを張った上に玄関に鍵をかけて2児を自宅に閉じ込めて放置し、同月下旬ごろに餓死させた。7月29日、勤務先の上司から「異臭がする」との連絡を受け、約50日ぶりに帰宅した際に子供の死亡を確認した。死亡を確認した母親は「子供たちほったらかしで地元に帰ったんだ。それから怖くなって帰ってなかったの。今日1ヶ月ぶりに帰ったら、当然の結果だった」と上司にメールを送信するも、その後はそのまま交際相手と遊びに出かけてホテルに宿泊し、翌7月30日に逮捕されるまで過ごしていた。
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事件発覚まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 07:26 UTC 版)
「警視庁立川警察署警察官女性射殺事件」の記事における「事件発覚まで」の解説
警視庁立川警察署(以後 立川署)地域課地域第2係に勤務する巡査長A(以後A)は平成19年8月20日午後3時30分頃、同僚署員1名とともに、同署管轄の富士見台交番で翌日午前9時30分までの勤務についた。8月20日午後9時30分頃、交番に来訪者があり「ホームレスのような男がコインランドリー内で寝込んでいる」と申告。Aはこの申告に対処したのちパトロールを行う旨告げたのち、交番配備の巡回用バイク(黒バイ)で交番から出動した。しかし10分後の午後9時40分頃、Aから警察無線で現着したとの報告があったのち連絡が取れなくなり所在不明となった。交番の同僚は、Aが所持する公用、私用双方の携帯電話に対し連絡を行い「交番にもどれ」「現在地を報告せよ」と再三促したが応答がなかったため翌21日午前5時30分「警察官1名が所在不明」と立川署本署に報告。立川署は警視庁本部に対し報告した。立川署は引き続き、警察無線で呼び掛け続けると同時に職員ロッカーを捜索。Aの私服ズボン内に入っていた定期入れの中にあった飲食店勤務の30代女性B(以後B)の名刺を発見。隣接する警視庁小金井警察署管内、東京都国分寺市東元町2のアパート女性宅に捜査員が向かったところ、あおむけで倒れ死亡しているA、Bの遺体を発見した。
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