Aの殺害計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:42 UTC 版)
「北九州市病院長殺害事件」の記事における「Aの殺害計画」の解説
2人はそれに代わる計画として、本件犯行を思い立ち、地元で有名な資産家として知られていた被害者の病院長Aを標的とした上で、AをYの経営する「ピラニア」、犯行日時は11月4日(日曜日)の21時と定めた。そして、芸能人好きのAを「小柳ルミ子(歌手)を紹介する」と騙して誘い出し、散弾銃とあいくち(Sの持ち物)で脅迫して、店内に監禁する。そして、Aに家族への電話を掛けさせて大金を用意させ、それを奪った上でAを殺害し、死体をスチール製ロッカーに入れ、マンションで解体した上で、あらかじめ手配した瀬渡し船から海中に投棄する一方、Aの車を福岡空港付近に乗り捨てることで、Aが大金を持って失踪したように装うことにするなど、綿密な計画を立てた。当初は死体を解体後、車で鹿児島まで運び、Sが以前から利用していた鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)の瀬渡し船をあらかじめ借り切り、甑島方面に向かう途中、海上で船長の目を盗んで死体を投棄する計画だった。 それらの計画を実行するため、YはAに連絡して11月4日に「ピラニア」に来ることを約束させた一方、死体の解体場所を手配し、Sも瀬渡し船を手配した。そして11月1日、2人は日曜大工道具大型店「ハンドメイクニシイ」(北九州市小倉南区葛原)で、被害者Aを縛ったり、殺害後に死体を搬出・解体するための道具として、竹割鉈2本、金切り鋸1本とその替え刃4本、軍手2双、プラスチック製バケツ(45 L)、盆栽用のアルミ製針金(直径1 mm、長さ約10 m)、台所用の水手袋1双、ガムテープ1個を購入。それらに加え、棒たわし、洗剤、パイプクリーナー、タオル、ガーゼ、晒、ポリ袋、スチール製ロッカーなども事前に買い揃え、いずれも車に積み込んだり、散弾銃やあいくちとともにあらかじめ「ピラニア」店内に運び込むなどして、周到な準備をした。大金を得る手段の計画は、監禁したAに家族への電話を掛けさせ、大金をトランクに入れたA宅の車をホテルの駐車場に置かせた上で、車の鍵をホテルのフロントに預けさせ、その鍵を受け取って車ごと奪うというものだった。 Yの愛人女性乙は、「10月21日 - 22日にYとともに塚野温泉(大分県)へ旅行に行った際、Yから『11月の初めごろ、Sと一緒に鹿児島に物を運んだら億の金が入る(=鹿児島まで死体を運び、海に投棄することを意味する)が、失敗すれば10年は覚悟しないといけないだろう』などと聞いていたが、旅行から帰った翌日に『その件はやめた』ということを聞いた」と証言しているが、福岡高裁 (1984) は、乙の証言などを総合して、「(1979年)10月20日以前の時点で、被告人らの間で被害者殺害の謀議がなされていたことが明らかなのである。」と認定している。また、Yは事件当日(11月5日)に予定されていた趣味の早朝野球の予定を断っていたほか、事件発生(11月4日)の3 - 4日前には家族らに対し、「11月4日から、鹿児島の甑島に釣り旅行に行く」と話していたが、釣り船を予約・キャンセルした痕跡はなかった。 一方、Aは失踪前(10月25日 - 11月3日まで)に会っていた知人や、遊興先のホステスなど約10人に対し、「11月4日に小柳ルミ子と会う」「小柳ルミ子とできたらスポンサーになって、多額の金を東京まで持って行かないかんだろう」「東京の有名歌手と会うから店に連れて来てやる」などと話しており、11月2日には、4日夜にデラックスルームの宿泊予約を取っている。しかし、小柳は11月1日 - 7日にかけ、東京・浅草の国際劇場でワンマンショーを開催中で、Aとは面識がなく、小倉に行く予定もなかった。
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