808・809年の遠征とは? わかりやすく解説

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808・809年の遠征

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 06:18 UTC 版)

トルトーサ包囲戦 (808年-809年)」の記事における「808・809年の遠征」の解説

808年トルトーサ2度目攻撃が行われた。ルートヴィヒはこの攻撃を自ら指揮することはなかった。当時フランク王であったカール大帝皇帝包囲開始するべく、自身封臣(vassus)と国王巡察使(missus)であったインゴバルト(Ingobert)を送りアデマールベラは再びエブロ川越えて襲撃開始したが、上流から流れてくる馬糞によって予め襲撃者存在察知された。しかし、アデマールらはウマイヤ人のキャンプ略奪しトルトーサ知事ワーリー)アブドゥンの軍を破り多大な戦利品持って帰国した。しかし、インゴバルトは冬も包囲続けたルートヴィヒ809年第三次遠征主導し、インゴバルトの進行中包囲続行せしめるべくアキテーヌ援軍装備送ったヘリベルトHeribert)の指揮下にある更なる援軍は、カール大帝によってフランク地方から送られた。 イセンバルド(Issembard)とフェゼンサック伯リュータール1世(Leuthard I of Paris)も参加した。なおリュータールはバスク人部隊連れてきたと言われている。 『フルドヴィチ記(Vita Hludovici)』と『フランク王国年代記Annales regni Francorum)』による包囲作戦その結果についての主な記述は、正確に一致していない。 以下は『フルドヴィチ記』の記述。 On arriving [at Tortosa, Louis] battered and wore down the city with rams, mangonels, covered sheds, and other torments, so that its citizens abandoned hope, and seeing that Mars had turned against them and that they were beaten, they handed over the keys of the city, which Louis on his return sent to his father with great satisfaction. These events, carried out in such a way, struck great anxiety in the Saracens and Moors, for they feared a similar fate might be in store for each city. So forty days after he had begun the siege, the king went home from the city and reentered his kingdom. —Vita Hludovici, §16 以下はその和訳。 (ルートヴィヒトルトーサに)到着すると、破城槌マンゴネル、「屋根付き小屋」などを以て町を破壊し市民希望失いマルス神が自分たちに敵対し打ち負かされたのを見て、町の鍵を渡し帰国したルートヴィヒ大満足で父王にそれを送ったこのような経緯から、サラセンムーア人々は、自分たちの都市にも同じよう運命待ち受けているかもしれないと、大きな不安を抱くようになった包囲始めてから40日後、王は都市離れ、再び自分の国に戻ってきた。 —フルドヴィチ記, §16 一方でフランク王国年代記』には以下にようにある。 In the west the Lord King Louis entered Spain with his army and besieged the city of Tortosa on the River Ebro. When he had devoted some time to the siege and had seen that he could not take the city quickly, he gave up and returned to Aquitaine with his army unimpaired. —Annales regni Francorum, s.a. 809 以下はその和訳西方では、ルートヴィヒ公が軍隊率いてスペイン入りエブロ川沿いの都市トルトーサ包囲した。しばらく包囲専念し、すぐに街を奪えないことがわかると、彼はあきらめ軍隊とともに無傷アキテーヌ地方戻った。 —『フランク王国年代記』、s.a. 809 『フルドヴィチ記』の記述にある「屋根付き小屋covered shed)」とは、兵士投擲物(弩の石など)から守るための移動式シェルターのことである。 マンゴネルへの言及は、西ヨーロッパでは初めてのものである。通例投石機」「石弓」などと訳すこの単語は、ビザンツ帝国古くから知られていた牽引式トレビュシェットである。ルートヴィヒトルトーサにて自ら行った包囲は、40日間続いた一部歴史家は、ルートヴィヒトルトーサ城壁を破ることに成功したと『フルドヴィチ記』を解釈しているが、多くの者は、ルートヴィヒが単に形式的な服従行為受け入れて退却したのだと考えている。 後世イスラム教資料には、別の結果報告するものもある。カリフ息子後継者アブド・アッラフマーン2世は、上層部行進司令官であるアムルーズ・イブン・ユースフ(ʿAmrūs ibn suf)とともに救援軍率いて都市救ったとされている。イブン・ハイヤーン(Ibnayyān)によれば、「多神教徒は敗走し多くフランク人全滅した」。アル・マッカリーもフランク族敗北報告している。

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