2000年代中期以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 13:52 UTC 版)
2005年5月、胃癌を患っていたことが判り、6月に摘出手術を行った。毎年11月中旬から翌年3月中旬までオーストラリアとニュージーランドに、5月のゴールデンウィーク後から9月中旬までカナダに滞在し、オーケーギフトショップの管理の傍ら、ゴルフを楽しむなどの生活を送った。この太陽の動きに合わせ居住地を移動する生活形式を「ひまわり生活」と呼んだ。日本に帰国するのは3月末からゴールデンウィークまでと9月中旬から11月上旬までであった。逝去まで一貫してこのスタイルで生活していたことから「出稼ぎタレントのパイオニア」とも呼ばれるようになった。 海外移住先をハワイではなくカナダ、オーストラリア、ニュージーランドにした理由について、友人である元日本テレビプロデューサーの井原高忠がハワイに移住したが、ハワイは物価が高く、ゴルフ場料金も高いため老後の移住先として不適格と判断したため。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの順で永住権(永住資格)を取得している。 セミリタイア後も、帰国時は『笑っていいとも!』や『ニュースステーション』といった生放送番組を中心にゲスト出演していた。特に『開運!なんでも鑑定団』には通算32回出演しており、最多ゲスト出演者となっている。また、たけし・タモリ・紳助・久米などは番組内で巨泉の話題が出ると「(セミリタイアの分際で)偉そうに」「お前の番組に出てやると偉そうに言ってくる」「勝手に自分が出演する日を決める」「フルリタイアしてほしい」などと罵倒するのが恒例となっており、紳助は2009年7月に放送されたFNSの日で司会を務め、22年ぶりに笑っていいとも!にゲスト出演した際、「一度ガンになったけど、残念ながら復活しました」「医学は進歩しすぎやね」と発言した。また、テレ朝の駐車場に駐車していたタモリの車に乗り込み、車内にいたタモリに「お前の番組に出てやる!」と発言した直後に久米が駐車場を通りかかると、車を降りて久米の元へ行き「お前の番組にも出てやる」と駐車場で出演交渉をしていたことを、タモリがいいとも内で明かしている。 「バラエティは生放送じゃなきゃ駄目。今の番組はすぐにスタッフの意向でハサミを入れる(カットする)から、出演者の面白さが全部切り取られている」「映画は監督のもの、テレビはホストのもの」が口癖だった。なお、本人も日本に帰ってきた際、オファーがあれば収録番組にも出演するが、実際自身が視聴する番組は生放送の番組だけだという。 メジャーリーグ評論家としても知られ、日本のメジャー通タレントの第一人者でもあり、メジャー30球団の選手名鑑を発売する程精通していた。2001年当時、メジャーで通用する日本人選手として、当時西武に所属していた松井稼頭央を挙げた。また、アメリカンフットボールにも造詣が深く、NHK BS1でNFL中継のゲスト解説を担当したこともある。サンフランシスコ・フォーティナイナーズのファンを公言していた。 2009年2月12日、同年4月にオーケープロダクションが設立40周年を迎えることを期に、オーケープロダクションが巨泉と縁が深いイーストの完全子会社となり、同時に巨泉自身もオーケープロダクションの取締役会長を退任し、代表取締役だった巨泉の実弟で秘書の大橋哲也も相談役に退いている。
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