2000年代の長期低迷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 21:56 UTC 版)
「シンシナティ・レッズ」の記事における「2000年代の長期低迷」の解説
2000年にはシアトル・マリナーズからケン・グリフィー・ジュニアが移籍。親子2代に渡るスター選手の在籍となり大きな話題となったが、その年は地区2位に終わった。2001年以降は2007年まで7年連続負け越しと低迷。 2003年には打者有利な球場であるグレート・アメリカン・ボール・パークへ本拠地を移した。その恩恵もあってか2004年からは3年連続でチーム本塁打が200本を越え、同年にはグリフィーが500本塁打を達成。チームの主砲であるアダム・ダンは4年連続で40本塁打を記録した。一方、元々強力ではなかった投手陣は更に弱体化し、チーム防御率は毎年のように4点台後半から5点台とリーグワーストを記録。2005年にはエリック・ミルトンが球団ワースト記録を更新する40被本塁打を記録してしまった。2006年には開幕から好調を維持したものの終盤に失速し、プレーオフ進出はならず。2007年は逆に開幕からつまづき、シーズン途中でジェリー・ナロン監督は解任、チームも72勝90敗で地区5位に沈んだ。同年10月、新監督としてダスティ・ベイカーを3年1050万ドル(約11億250万円)の厚遇で招聘したものの、翌2008年4月23日、9勝12敗の時点で前GMウェイン・クリブスキーを早々に解任。余りに早過ぎる解任通達であったが、ロバート・カステリーニ・オーナーは「彼は2006年に就任してから2年続けて負け越しており、今年もスタートで蹴躓いた、わたしは気の長い方ではない」と述べ、その後任として長らくセントルイス・カージナルスのGMを勤め上げ、当年からレッズの特別相談役となっていたウォルト・ジョケッティが就任する運びとなった。 11年間にわたる長期政権を築いたジム・ボウデンGMが2003年限りでチームを去って以降、2008年までの5年足らずの間にGMは3人、監督は4人と交代劇が続いており、これでは長期的プランに沿った再建など出来るはずもなく、光明なき迷走状態に陥っていた。
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