1993年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 04:31 UTC 版)
後、老朽化が進んだのをみて、地元の住民と政治家が「治水橋架橋期成会」を作って埼玉県に働きかけた。新しい橋は国庫補助を受けた橋梁整備事業により埼玉県が事業主体となり、総工費約73億7500万円を投じ1983年(昭和58年)夏事業に着手し、架換調査が実施された。橋の設計は「橋梁コンサルタント」および「建設技術研究所」が担当した。1987年(昭和62年)橋の建設が始められ、1993年(平成5年)6月に古い橋より少し川上側の位置に永久橋として竣工した。橋の長さは833.1メートルで事業区間の総延長は1780メートルにも及んだ。構造の特色として、走行性や維持管理を考慮して連続桁を採用していることから温度変化による水平作用が生じやすくなり、これを吸収するため、当時の大型鋼橋としてあまり例がない大型ゴム支承が採用されている。下部工基礎は河川条件により深い基礎にしなければならず、検討した結果、鋼管矢板基礎が採用されている。施工会社が多く、31社を数える。橋の鋼種は「SM 490 Y」、床版は鉄筋コンクリート床版を使用している。架設工法はトラッククレーンベント工法や送り出し工法が用いられた。橋の塗色は「塗装色彩検討委員会」と呼ばれる専門の委員会を設け、歴史的背景や四季の変化などを考慮し、周囲の景観に溶け込みやすい低彩度系の色であるライトグレーが採用された。開通式は同年6月15日に地元関係者200人が出席する中挙行され、テープカットやくす玉開披が執り行われた。 右岸の堤防に達すると長さ377.5メートルのびん沼川高架橋に接続し、大きく南にカーブして、びん沼川と何本かの道をまとめて越える。びん沼川高架橋は、新しい治水橋のために作られ1991年(平成3年)に竣工した主径間37.0メートルの連続鋼鈑桁橋である。それまで県道は荒川右岸の堤防沿いに北上し、丁字路の信号を右折して治水橋に入っていたため、これにより堤防から平地への坂の傾斜が緩み、交通の流れがよくなった。この旧橋の取付道路は後年実施された堤防の扛上(嵩上げ)により一部埋められたが残されている。開通当時は大宮市に架かる橋であったが2001年(平成13年)に大宮市は浦和市、与野市と合併し、所在地がさいたま市となった。 2019年(令和元年)10月12日から13日にかけて発生した令和元年東日本台風(台風19号)の影響で、13日の1時50分に荒川が氾濫危険水位に到達し、通行止めとなった。
※この「1993年の橋」の解説は、「治水橋」の解説の一部です。
「1993年の橋」を含む「治水橋」の記事については、「治水橋」の概要を参照ください。
- 1993年の橋のページへのリンク