1979-1981: ポストパンクからエレクトロニック・ボディー・ミュージック、ノイエ・ドイチェ・ヴェレへとは? わかりやすく解説

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1979-1981: ポストパンクからエレクトロニック・ボディー・ミュージック、ノイエ・ドイチェ・ヴェレへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/12/27 21:00 UTC 版)

ドイチュ-アメリカニシェ・フロイントシャフト」の記事における「1979-1981: ポストパンクからエレクトロニック・ボディー・ミュージック、ノイエ・ドイチェ・ヴェレへ」の解説

1979年ファーストアルバム "Ein Produkt der Deutsch-Amerikanischen Freundschaft" の録音前にリードシンガーであるガビ・デルガド=ロペスはすぐに復帰するものの、いったんバンド離れたこのためファーストアルバム純粋なインストゥルメンタルとなった。"Produkt" は、タイトルのない1~2分程度トラック22収録ノイズ入り混じった、ほとんどフリー・ジャズともいうべきインスト作品である。英米ロック/ポップミュージック文脈から意図的に離れ70年代末から80年代初期ドイツパンクニューウェーブ幕開け告げ作品となったアルバムキーボード担当クルト・ダールケレーベル "Warning"から発売。後にアタ・タックと改称されるこのレーベルは、初期ノイエ・ドイチェ・ヴェレ最重要レーベルとなる。(所属アーティストに、フェルファーベン "Fehlfarben"、 デア・プラン、アンドレアス・ドラウ、ピロレーターなど。)シンセサイザーエキスパートであるクルト・ダールケバンド離れると、グループヴァージン・レコード契約イギリスから国際的な成功へと向かうことになる。ダールケの後釜としてクリス・ハースが加入。ロベルト・ゲアルとともにDAF特徴となるKorg MS-20使ったシーケンサーサウンドを構築していく。新メンバーで『ケバブ・トラウム』"Kebab Träume"(DAF代表作発音正しくは「〜・トロイメ」)と "Ich und die Wirklichkeit" のシングル発表。ミヒャエル・ケムナーの脱退により、ロベルト・ゲアル/ガビ・デルガド=ロペス/クリス・ハース/ヴォルフガング・シュペルマンスの4人組となる。 1980年アルバム小者悪者』("Die Kleinen Und Diesen")発表国際的な注目を浴びるLPA面コニー・プランクスタジオで録音。(ちなみにクラフトワークノイ!ウルトラヴォックスなども、このスタジオでレコーディングしている。) B面は、ロンドンクラブ "The Electric Ballroom" でWire前座として出演した際のライブ録音。ロベルト・ゲアル曰く内容的には彼らを凌駕していた。『小者悪者』("Die Kleinen Und Diesen")はロンドンダニエル・ミラー傘下ミュート・レコードから発売され大成功修める。 『小者悪者』("Die Kleinen Und Diesen")は、エレクトロニック・ボディー・ミュージック、ノイエ・ドイチェ・ヴェレ草分けとなったアルバムである。前作 "Ein Produkt der Deutsch-Amerikanischen Freundschaft" の音色引き継ぎつつも、楽曲は曲としての体裁取り始めシーケンサー導入により、リズム主眼置かれ構成になっている。(ヴォルフガング・シュペルマンスのギターは、メロディー奏でるではなく純粋に音を発する道具として使用されている。)ガビ・デルガドのアグレッシブにがなり立てるヴォーカルから放たれる歌詞は、論議呼んだ。(『愉快な長靴』"Die Lustigen Stiefel"、『これが愛だ』"Das Ist Liebe" など。) その後、同じメンバー構成でのツアー経たのち、ロベルト・ゲアルとガビ・デルガド=ロペス活動コンセプト焦点を絞り込むことにし、クリス・ハースとヴォルフガング・シュペルマンスはバンドから脱退した

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