1967 - 1974年
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「コマーシャルソング」の記事における「1967 - 1974年」の解説
この頃は、戦後の流行歌のようなヨナ抜き長音階・自然短音階が、ようやくCMソングに用いられた時期でもあった。これは、創生期のラジオ歌謡をベースとしたホームソング調・童謡調にはなかったものだった(初期のテレビCMに関しては多様で、オペラ風、シャンソン風、音頭風などもあったという)。 1967年(昭和42年)4月、レナウンの『イエイエ』(作曲:小林亜星)がオンエアー。斬新なもので、広告界では「イエイエ以後」という言葉が生まれた。 同年、『世界は二人のために』(佐良直美)が発売される。元々は明治製菓「アルファチョコレート」のCMソングだったものである。 初期のCMソングの歌詞は、訴える対象が不明確な三人称がほとんどだったが、この曲以降、一人称・二人称が増えたという。 1968年(昭和43年)1月4日付から、オリコンチャート(レコード等の売上ランキング)が正式スタート。 1970年(昭和45年)には、公害問題などを踏まえた商品宣伝を一切しないCMも登場した。 「コスモ石油#モーレツ」も参照 1972年(昭和47年)、フォーク界から吉田拓郎が『Have A Nice Day』(富士フイルム)を(前年に中外製薬「新グロンサン」でも歌唱)、翌1973年(昭和48年)には、ロック界から大瀧詠一(元・はっぴいえんど)が『Cider '73』(三ツ矢サイダー)を手がけ、若者を中心に人気を博した。 1972年(昭和47年)10月、三菱銀行が総合口座「ミニバンク」の宣伝曲『しあわせのミニバンク』(小鳩くるみ)を行内ロビーで流した。当時は全国銀行協会の自主規制により個々の銀行の広告を電波メディアに流すことができなかった。同時期に、第一勧業銀行も同行のモットーを曲名とした宣伝曲及び行内愛唱歌として『心のふれあい』(由紀さおり)を制作している。 1973年(昭和48年)、第13回ACC全日本CMフェスティバルから、「シンギング部門」がテレビ・ラジオ部門から独立して扱われる。 1974年(昭和49年)、サミー・デイヴィスJr.本人出演によるスキャットのCM(サントリーホワイト)が、カンヌ国際広告祭グランプリを受賞(日本の作品としては初受賞) 代表的な楽曲 マンダム〜男の世界〜(ジェリー・ウォレス;マンダム) ケンとメリー〜愛と風のように〜(BUZZ;日産自動車「スカイライン」) 家をつくるなら(加藤和彦;ナショナル住宅(現・パナホーム)) ガンバラナクッチャ(サスケ;中外製薬「新グロモント」) ※ 2004年からはライオンの商品 ふりむかないで(ハニー・ナイツ;ライオン「エメロン」) 日立の樹(ヒデ夕樹;日立製作所) やさしさに包まれたなら(荒井由実;不二家「ソフトエクレア」)
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