1967-1974年とは? わかりやすく解説

1967 - 1974年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:01 UTC 版)

コマーシャルソング」の記事における「1967 - 1974年」の解説

この頃は、戦後流行歌のようなヨナ抜き長音階自然短音階が、ようやくCMソング用いられ時期でもあった。これは、創生期ラジオ歌謡ベースとしたホームソング調・童謡調にはなかったものだった初期テレビCMに関して多様で、オペラ風、シャンソン風、音頭風などもあったという)。 1967年昭和42年4月レナウンの『イエイエ』(作曲小林亜星)がオンエアー斬新なもので、広告界では「イエイエ以後」という言葉生まれた同年、『世界は二人のために』(佐良直美)が発売される。元々は明治製菓「アルファチョコレート」のCMソングだったものである初期CMソング歌詞は、訴え対象不明確三人称がほとんどだったが、この曲以降一人称二人称増えたという。 1968年昭和43年1月4日付から、オリコンチャートレコード等の売上ランキング)が正式スタート1970年昭和45年)には、公害問題などを踏まえた商品宣伝一切しないCM登場した。 「コスモ石油#モーレツ」も参照 1972年昭和47年)、フォーク界から吉田拓郎が『Have A Nice Day』(富士フイルム)を(前年中外製薬「新グロンサン」でも歌唱)、翌1973年昭和48年)には、ロック界から大瀧詠一(元・はっぴいえんど)が『Cider '73』(三ツ矢サイダー)を手がけ、若者中心に人気博した1972年昭和47年10月三菱銀行総合口座「ミニバンク」の宣伝曲『しあわせのミニバンク』(小鳩くるみ)を行内ロビー流した当時全国銀行協会自主規制により個々銀行広告電波メディアに流すことができなかった。同時期に第一勧業銀行同行モットー曲名とした宣伝曲及び行内愛唱歌として『心のふれあい』(由紀さおり)を制作している。 1973年昭和48年)、第13回ACC全日本CMフェスティバルから、「シンギング部門」がテレビ・ラジオ部門から独立して扱われる1974年昭和49年)、サミー・デイヴィスJr.本人出演によるスキャットCMサントリーホワイト)が、カンヌ国際広告祭グランプリ受賞日本の作品としては初受賞代表的な楽曲 マンダム男の世界〜(ジェリー・ウォレスマンダムケンメリー〜愛と風のように〜(BUZZ日産自動車スカイライン」) 家をつくるなら加藤和彦ナショナル住宅(現・パナホーム)) ガンバラナクッチャ(サスケ中外製薬新グロモント」) ※ 2004年からライオン商品 ふりむかないでハニー・ナイツライオンエメロン」) 日立の樹ヒデ夕樹日立製作所やさしさに包まれたなら荒井由実不二家ソフトエクレア」)

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