1890年 - 1900年 - レディング鉄道による借り受け
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「リーハイ・バレー鉄道」の記事における「1890年 - 1900年 - レディング鉄道による借り受け」の解説
1890年代はリーハイ・バレー鉄道にとって混乱の時期であった。この10年間は、バッファローとジャージーシティにおけるターミナル設備の完成と、ニューヨーク州を横断する幹線の確立で始まったものの、間もなくパッカー家が会社の所有権を失うことになる商取引に巻き込まれることになった。 石炭輸送は常に事業の柱であったが、生産も競争も増大し景気が循環するために、常に好況と不況の波があった。炭鉱地帯の鉄道は1873年に、生産量を調整し各鉄道に量を割り当てる企業間連合を形成し始めた。供給をコントロールすることにより、炭鉱企業は価格と利益率を高く維持しようとした。いくつかの企業間連合が作られたが、協定を破棄する会社が現れたためにどれも成功しなかった。こうした企業間連合の最初のものは1873年におこり、続いて1878年、1884年、1886年におこった。石炭は事業にとって重要であったため、消費者は当然ながらこのカルテル行為を嫌い、1887年に議会は州際通商委員会法を制定して、鉄道会社がこうした企業間連合に参加することを禁じた。鉄道会社は実質的にこの法律を無視して、販売担当者が面会して価格を設定することができたものの、こうした協定が長く実効性を持つことはなかった。 1892年にレディング鉄道はこれに対する解決策を考えた。炭鉱地帯の鉄道の間で協定を維持しようとするのではなく、主要な路線を買収するか借り受けるかして独占を形成してしまえばよいと考えたのである。レディング鉄道はセントラル・レールロード・オブ・ニュージャージーとリーハイ・バレー鉄道を借り受け、これらの会社の炭鉱部門を買収し、デラウェア・ラッカワナ・アンド・ウェスタン鉄道と協力の手配を整えて、取引の70パーセントを支配した。しかし、これは無理をし過ぎており1893年には債務を返済できなくなった。レディング鉄道の破綻は経済的な混乱をもたらし、1893年恐慌の引き金を引いた。これによりリーハイ・バレー鉄道は借り受けの契約を破棄して自社での運営を再開しなければならなかったが、1904年まで株に配当を払うことができなかった。1893年からの不況は深刻で、1897年の時点でリーハイ・バレー鉄道は支援を必要としていた。銀行家のジョン・モルガンがリーハイ・バレー鉄道の債務整理に着手し、この過程で鉄道の支配権を握った。1897年に社長のエリシャ・ウィルバーや数名の取締役を失脚させ、モルガンの会社はアルフレッド・ウォルター (Alfred Walter) を社長に就任させ、数名の取締役を送り込んだ。1901年にモルガンは、いずれもモルガンが株式を保有する、エリー鉄道、ペンシルバニア鉄道、レイク・ショア・アンド・ミシガン・サザン鉄道(英語版)、デラウェア・ラッカワナ・アンド・ウェスタン鉄道、セントラル・レールロード・オブ・ニュージャージーなどと共同でパッカーの不動産会社を買収するように整えた。新たに選ばれた社長はエリー鉄道出身のエベン・トーマス (Eben Thomas) となり、彼の取締役会はこれらの鉄道の共通利益を代表した。 石炭のカルテルを実現しようとする最後の試みは1904年にあり、テンプル製鉄 (Temple Iron Company) の設立となった。テンプル製鉄はそれまで零細企業にすぎなかったが、持ち株会社として活動できる広範な綱領をたまたま持っていた。破産管財を終えたレディング鉄道はこの会社を買収し、他の炭鉱地帯の鉄道をこの協定へ巻き込んだ。レディング鉄道は30パーセント、リーハイ・バレー鉄道は23パーセント、デラウェア・ラッカワナ・アンド・ウェスタン鉄道は20パーセント、セントラル・レールロード・オブ・ニュージャージーは17パーセント、エリー鉄道は6パーセント、ニューヨーク・サスケハナ・アンド・ウェスタン鉄道(英語版)は5パーセントの割合であった。テンプル製鉄の目的は石炭の生産と供給を管理することであった。議会は1906年にヘプバーン法(英語版)の制定に動き、鉄道会社が輸送している商品を支配する企業を所有することを禁じた。長く続けられた反トラストの捜査活動と法的手段により、1911年にリーハイ・バレー鉄道に対して1868年以来所有してきた炭鉱部門を売却するように命じる最高裁決定につながった。リーハイ・バレー鉄道の株主は、分割されたリーハイ・バレー炭鉱の株式を受け取ったが、鉄道部門は自社の最大の顧客に対して生産・契約・販売の面で何の支配権もなくなった。
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