113系700番台
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「国鉄113系電車」の記事における「113系700番台」の解説
1974年7月20日、東海道本線の山科駅と北陸本線の近江塩津駅を結ぶ湖西線が開業した。交流電化であった北陸本線と接続するため永原 - 近江塩津間に交流・直流のデッドセクションが設けられ、直流電化の京都 - 永原間の普通列車に113系が使用されることとなった。湖西線は寒冷地の降雪線区であることから、115系に準じた耐寒耐雪装備を持つグループとして1974年に登場したのが113系700番台である。 1974年から1976年にかけて、2M2Tの4両×9本、4M2Tの6両×8本、計84両が製造された。短編成のためサハ111形は製造されていない。クハ111形は奇数向き車が700番台、偶数向き車が750番台となり、10の位の数字で区分された。 1000'番台の車体をベースに客用扉の半自動(手動で開閉)対応化、前面タイフォンへのシャッター設置、スノープラウ設置といった耐寒耐雪構造が取り入れられており、115系300番台から勾配抑速ブレーキを取り除いた仕様であるといえる。運転台スペースも1000'番台と同様に広く取られたが、助士席側にあったATCの機器スペースはなく、窓配置と座席定員が変更されている。 1972年11月に発生した北陸トンネル火災事故を教訓に、以後の新製車は不燃性・難燃性を向上したA-A基準に準拠した構造となり、700番台においても1000'番台と同様の防火対策が取り入れられている。前面のタイフォン(空気笛)は、700番台以降では1000'番台と異なり、前照灯と同等の高さの位置に配置された。 新製時の配置は高槻電車区(現:網干総合車両所明石支所高槻派出所)で、国鉄末期の同区の無配置化に伴い宮原電車区(現:網干総合車両所宮原支所)に転属、国鉄分割民営化時には全車がJR西日本に承継された。JR発足後に吹田総合車両所京都支所(旧:向日町運転区 → 京都総合運転所)に転属している。1991年からは後述の高速化改造が施工され、全車が番号に5000を加えた「5700番台」となった。その後、1992年から2001年にかけて、全車両が延命工事または体質改善工事を施工している。 モハ113形5700番台。 モハ112形5700番台。冬季の架線の霜取り用にパンタグラフが増設(写真手前側)されている。
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