じゃ‐おどり〔‐をどり〕【蛇踊(り)】
竜踊
名称: | 竜踊 |
ふりがな: | じゃおどり |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 竜踊保存会 |
選択年月日: | 1970.06.08(昭和45.06.08) |
都道府県(列記): | 長崎県 |
市区町村(列記): | 長崎市諏訪町 |
代表都道府県: | 長崎県 |
備考: | 長崎くんちの奉納踊 所在地が同一都道府県内のもの(このデータは種別1から移行しています) |
解説文: | この芸能は、長崎市諏訪町の諏訪神社の「おくんち」と呼ばれる鉾・練物を中心とする祭(十月七日~九日)のなかで行なわれるもので、江戸元禄期の唐人屋敷創設以後に興ったものといわれる。 「おくんち」の祭次第は、本社から御旅所へ三基の神輿渡御があり、次いで神賑いの風流があって、やがて神輿還幸となる。この神賑いの風流のうち「傘鉾」「川船」「龍踊【じゃおどり】」「コッコデショ」などの曳物や芸能の風俗には中国の色彩が濃厚で、全国的にも異色のものである。 芸能としての龍踊は、蛇体が玉を追う様をスペクタクルに演じてみせるもので、「道行」「づくろ」「玉追」などの次第で進行する。唐人服を着た十人の龍使いが、六尺棒で龍体をささえて練りまわし、この間、大太鼓、羯鼓、銅羅、小鉦、竜声嘲叭などが奏される。その演技・演奏法ともに特色があり、また芸能として地方的に特色の著しいものである。 |
龍舞
(龍踊 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 00:51 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動龍舞 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 舞龍 |
簡体字: | 舞龙 |
拼音: | wǔ lóng |
発音: | ウーロン |
龍舞(りゅうまい)は、中国語で舞龍(ウーロン)・玩龍灯などと呼び、中華圏の伝統的な踊りで、龍が玉を追いかける様子を模している。龍は多数の人間によって操られ、しばしばアクロバティックな動きを見せる。地域ごとにさまざまな変種がある。現代では中国のみならず世界各地の中華街で踊られる。2006年に中国の非物質文化遺産に指定された[1]。
日本にも伝来し、長崎くんちの龍踊(じゃおどり)が有名であるが、獅子舞にくらべると馴染みがなく、さまざまな名で呼ばれる。横浜中華街や神戸南京町のサイトでは「龍舞」の語を用いており[2][3]、本記事でも「龍舞」と呼ぶ。
概要
龍舞では「龍珠」と呼ばれる丸い玉をひとりが操作し、それを布などで作った龍が追いかける。龍は通常複数の人物によって操作し、ドラや太鼓の音にあわせて上下左右に踊らせる[4]。
元宵節に「龍灯」と呼ばれる龍舞の行事がある[5]。ほかにも春節や秋の収穫祭でも龍舞を行うことがある[4]。香港では大坑と薄扶林で中秋節に行われる「舞火龍」がよく知られ、龍舞とは別に香港の非物質文化遺産に指定されている[6]。
世界各地の中華街で、春節の出し物のひとつとして龍舞が行われる。
歴史
獅子舞の起源がはっきりしないのに対し、龍舞は早くから文献に見える。『春秋繁露』には雨乞いのために龍の踊りを行うことを述べ、季節ごとの龍の色や頭数を細かく規定している[7]。漢代の画像石にも龍舞を描いたものがある[8]。ただ、これらが現在の龍舞にどう繋がるか明らかでない。
踊りではないが、12世紀の『東京夢華録』には元宵節にわらで龍を作り、その上に灯を多数並べることを記す[9]。
日本には14世紀に長崎に伝来した[4]。享保年間に長崎の人が諏訪大社に蛇踊りを奉納し、諏訪市ほか各地でも踊られるようになった[10]。浅草寺の金龍の舞や、金華山の龍踊りはいずれも新しい。
脚注
- ^ 『国务院关于公布第一批国家级非物质文化遗产名录的通知』 中华人民共和国中央人民政府、2006年 。
- ^ 『特集 中国獅子舞について』 横浜中華街 。
- ^ 『龍舞』 熱烈歓迎 南京町 。
- ^ a b c 池上(2012) p.150
- ^ 池上(2012) p.149
- ^ 『首份香港非物質文化遺產清單』 非物質文化遺産辦事處 。 (2.2が舞龍、3.32が舞火龍)
- ^ 『春秋繁露』求雨第七十四
- ^ 『砖墙壁画上的汉代舞蹈』 新浪云南、2013年 。ただし林巳奈夫は山東省沂南北寨村の画像石を龍ではなく「角の生えた獅子」とする。林巳奈夫『中国古代の生活史』吉川弘文館、1992年、115頁。ISBN 4642073116。
- ^ 『東京夢華録』巻6・元宵
- ^ 池上(2012) pp.272-274
参考文献
- 池上正治『龍と人の文化史百科』原書房、2012年。 ISBN 9784562048649。
関連項目
- >> 「龍踊」を含む用語の索引
- 龍踊のページへのリンク