高句麗の言語と周辺の言語の関係性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 01:50 UTC 版)
「高句麗語」の記事における「高句麗の言語と周辺の言語の関係性」の解説
高句麗語との比較が行われている主要な言語には日本語・朝鮮語・ツングース語などがあり、李基文はそれぞれについて複数の語彙の共通性について論じている。このような共通した語彙等に注目して、複数の学者が高句麗の言語系統について仮説を立てている。 古くから広まった仮説に、高句麗語を扶余語などともにツングース語と結びつける見解があり、この見解の先駆者には言語学者河野六郎がいる。高句麗の領域は後にツングース語の一派である満州語が使用された地域であるが、彼はいくつかの語意の類似から高句麗語および他の夫余族の言語が満州語と同祖の言語であるとした。これは第二次世界大戦前の日本の大陸政策の観点から高句麗をツングース系の国家とする学説が官民を挙げた後押しを受けたこともあり、日本の学界では一時広く受け入れられ日本語圏では多くの書籍・辞典において高句麗がツングース系という説明が行われていた。高句麗語をツングース語と見る見解においては高句麗五部の名称(消奴部、絶奴部、順奴部、灌奴部、桂婁部)が重要である。村山七郎はこれらに含まれる奴(那, *nā)を南ツングース語のnā(土地、地方)が同一のものであるとし、さらに順、消、灌、絶をツングース語の方位語と見た。李基文もまた、高句麗語*nanən(7)とツングース諸語のnadan(7)など若干の語意をツングース語と比較可能なものとしている。 一方で、李基文は夫余系統仮説の前提として『三国志』「魏志」に(粛慎の後裔である)挹婁の言語が夫余と異なると記されていること、さらに『北史』に挹婁の後裔と想定される勿吉の言語が高句麗と異なると記されていることなどから、これら粛慎系と言える人々の言語がツングース語と仮定するならば、夫余系言語がツングース語と別の言語集団としてはっきり区別されていたと考えることも可能として、別の見解を提示した。 高句麗地名から導き出された語彙中には中期朝鮮語との間にも多数の類似する単語が存在することが指摘されており、高句麗語で「横」を意味する*esと、中期朝鮮語の*as、「黒い」を意味する高句麗語の*kəmərと中期朝鮮語のkəm、「牛」を意味する高句麗語*šüと中期朝鮮語syoなどが比較される。アレキサンダー・ボビンは自身の研究成果に基づいて高句麗語が古代朝鮮語の一種であるとしている。 こうした系統論とは別に、韓国の学者の多くは古くから高句麗語を始めとした「扶余系」の言語を古代朝鮮語の方言として扱っている。 また、高句麗地名から復元可能な語彙の中に日本語と類似したものが多数みられることから、高句麗語は日本語の系統論においても古くから注目されている。日本語との比較においては数詞である*mil(三)、*ütu(五)、*nanən(七)、*tək(十)や、動物名である*usaxam(ウサギ)、地形を表す*tan(谷)など基本的な語彙に類似した語形のものが数多く見出されている。 クリストファー・ベックウィズ(英語版)は高句麗語を日本語の姉妹語と仮定し、両者の共通祖語としてCommon Japanese-Koguryoicを想定した。 李基文はあるいは高句麗語は日本語と朝鮮語の中間的な言語であったと想定できるかもしれないとも述べている。
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