駐日イラン大使としてとは? わかりやすく解説

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駐日イラン大使として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 10:23 UTC 版)

アッバース・アラーグチー」の記事における「駐日イラン大使として」の解説

2007年駐日イラン大使拝命、翌2008年2月赴任3月11日皇居信任状捧呈駐日大使として初の大仕事は、赴任する前年2007年10月8日横浜国立大学学生イラン南東部スィースターン・バルーチェスターン州武装麻薬密輸団に誘拐され事件について2008年3月27日東京開いた記者会見で「(誘拐され大学生は)全く無事だ」と断言しイラン当局仲介役の部族指導者通じて解決向けて動いている旨を述べたことである。アラーグチー大使説明通り誘拐され横浜国立大学学生同年6月14日に無事解放された。 赴任後初の訪問先広島であった2008年5月21日アラーグチー大使原爆ドーム原爆資料館訪れて被爆直後被害者写真など見て回り、彼がまだ20代であった頃に8年もの長きわたって戦われイラン・イラク戦争イラク独裁者サッダーム・フセイン躊躇なく使った毒ガス兵器による被害者想起し、核兵器はじめとする大量破壊兵器即刻廃絶すべきであるとの意見述べたまた、イランの核開発計画については、核拡散防止条約NPT体制国際原子力機関IAEA)の監視尊重することを前提とした原子力の平和利用である旨を強調し、平和を愛して原子力を平和利用す日本イラン両国連帯強調したまた、大使在任中の2011年3月11日東日本大震災発生した3月24日アラーグチー大使徳永久志外務大臣政務官表敬訪問すると共にイランからの緊急援助物資目録徳永政務官手渡しイラン甚大な被害与えた2003年バム地震の際に日本から受けた支援忘れていないことに触れつつ、「類い希なる忍耐能力有する日本国民は,必ずやこの困難を乗り越えることができると確信している」と述べ徳永政務官通して日本国民激励した4月23日アラーグチー大使夫人大使館シェフ日本活動しているイラン出身女優サヘル・ローズが、被災地岩手県山田町訪問して500食以上の炊き出し行い鶏肉のトマトシチュー、ナン伝統菓子などを振る舞った2011年10月24日アラーグチー大使夫人伴い皇居御所訪問して天皇明仁皇后美智子当時)に謁見離任挨拶をした。 2022年春の叙勲旭日重光章受章した

※この「駐日イラン大使として」の解説は、「アッバース・アラーグチー」の解説の一部です。
「駐日イラン大使として」を含む「アッバース・アラーグチー」の記事については、「アッバース・アラーグチー」の概要を参照ください。

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