ようすい‐えん〔ヤウスイヱン〕【養翠園】
養翠園
名称: | 養翠園 |
ふりがな: | ようすいえん |
種別: | 名勝 |
種別2: | |
都道府県: | 和歌山県 |
市区町村: | 和歌山市西浜 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1989.12.08(平成1.12.08) |
指定基準: | 名1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 養翠園は和歌山市の西南方、大浦湾に接する紀藩水軒御用地の一部に、文政年間、第10代紀州藩主徳川治宝が営んだ別邸である。 庭園の地割の主体は東西に長い広い池であり、池の西部に書院や茶席を配置している。 池はゆるやかに屈曲する汀線に囲まれ、西北隅に池中立石を配する。池中央やゝ東寄りに中島を配し、弁財天、稲荷社を祀る。中島へは北岸から鍵形に西湖堤で、南岸へは反橋で結ぶ。池南岸には時雨亭跡があり、西方には舟蔵跡、八千代亭跡、馬場跡がある。そしてそれらの背後には土塁状をなす堤があり、園と水軒川を境している。堤には、海水を池に導く2つの樋門がある。 池の西方に建つ書院「養翠亭」は、御座の間、次の間、用入詰所、侍溜り、膳所等から成り、御座の間の西に2畳台目の茶席「実際庵」が続く。御座の間の東に小池があり、あやめ池と称し、雨水を溜めてアヤメを植えている。御座の間軒先から池との間には景石をいくつか据え、池西北隅の池中立石とともに園の景観をひきしめている。 園の周囲はクロマツを主に、アカマツ、ツバキ、モクセイ、ウバメガシ等を植栽し、園外にある章魚頭姿山、焼山と効果的に接続する役をしている。 平明な地割で、庭園建築とともによく旧態を遺存し、江戸末期の大名庭の態様を知る上で貴重である。ここに名勝に指定し、その保存を図ろうとするものである。 |
養翠園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 10:27 UTC 版)
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養翠園(ようすいえん)は、和歌山県和歌山市にある池泉回遊式の日本庭園。公家の三条公修(三条実美の祖父)が命名した。国の名勝に指定されている。
概要
紀州藩第10代藩主徳川治寶によって、文政元年(1818年)から文政9年(1826年)にかけて造営された西浜御殿内の広大な大名庭園である。元々は、紀州藩士山本理左衛門の下屋敷であったと伝わっている。総面積は33,000平方メートル。
和歌山湾沿いの立地を利用して、海水を引き込んだ「汐入り」の池が特徴的で、潮の干満に応じて細波が立ち、水面が上下する独特の風情がある。この池には、日本庭園としては珍しい直線状の三ツ橋を渡しており、背後の天神山と章魚頭姿山(たこずしやま)を借景としたこの構図は、中国の西湖を模したものと伝えられている。
この汐入の池は、海南市にある近代の温山荘園の作庭に影響を与えることとなった。なお、日本の大規模な庭園で汐入の池をもつものは、これらの他には東京都港区の浜離宮恩賜庭園だけである。
大名庭園としては、全国唯一の個人所有の庭園であり、平成3年(1991年)より平成6年(1994年)にかけ文化庁指導の下、養翠亭解体修理工事が行われた。この御茶屋「養翠亭」の内部は原則非公開ではあるが、毎月第1日曜日には月釜茶会「あさも会」(会員制)が開かれている。
治寶は西浜御殿に表千家家元や樂家当主、三井北家当主の三井高祐などを招いた。
平成7年(1995年)のNHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」のロケ地である。
平成18年(2006年)11月に和歌山市の施設として、和歌山市指定文化財建造物「湊御殿」が園内桃畑跡に移築復元され、内部が有料公開されている。
施設
- 御茶屋「養翠亭」 - 文政4年(1821年)築、建坪94坪、部屋数19室(内部の鑑賞には事前申し込みが必要)
- 左斜め登り御廊下 - 養翠亭内に在り、全国唯一の遺構
- 2畳台目茶室「実際庵」 - 表千家の茶室
- 和歌山市指定文化財建造物「湊御殿」
利用情報
- 開園時間
- 通年 - 9時〜17時
- 1月1日のみ - 11時〜17時
- 休園日 - 年中無休
所在地
交通アクセス
周辺
関連項目
外部リンク
- 名勝 養翠園 公式サイト
- 養翠園 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
固有名詞の分類
- 養翠園のページへのリンク