養福寺 (足立区)とは? わかりやすく解説

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養福寺 (足立区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 07:18 UTC 版)

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養福寺
所在地 東京都足立区綾瀬2-9-13
位置 北緯35度45分38.1秒 東経139度49分38.8秒 / 北緯35.760583度 東経139.827444度 / 35.760583; 139.827444 (養福寺 (足立区))座標: 北緯35度45分38.1秒 東経139度49分38.8秒 / 北緯35.760583度 東経139.827444度 / 35.760583; 139.827444 (養福寺 (足立区))
山号 文殊山[1]
院号 薬師院[1]
宗派 新義真言宗[1]
本尊 薬師如来[1]
創建年 不詳
札所等 荒川辺八十八ヶ所霊場32番札所、荒綾八十八ヶ所霊場83番札所
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養福寺(ようふくじ)は、東京都足立区にある新義真言宗寺院

歴史

創建年代は不明である。文献によってまちまちである。江戸時代の『新編武蔵風土記稿』によれば、1504年永正元年)に賢空が中興したと伝える[1]明治期の『古義真言新義真言本末一派寺院明細帳』によれば、1685年貞享2年)に栄宣が開山したと伝える。また『真言宗明細簿』によれば、1806年文化3年)に快順が中興したと伝える[2]

境内の遺物から、元禄時代には寺運興隆していたと推測されるが、幕末には衰微していたらしく、明治初期には宝持院住職が兼務していた状態であった[2]

現在の本堂は、1975年昭和50年)に新築したものである[2]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b c d e 新編武蔵風土記稿 普賢寺村.
  2. ^ a b c 足立区立郷土博物館 編『足立の仏像―ほとけがつなぐ足立の歴史―(区制80周年記念特別展)』足立区立郷土博物館、2012年、175-176p

参考文献

  • 足立区立郷土博物館 編『足立の仏像―ほとけがつなぐ足立の歴史―(区制80周年記念特別展)』足立区立郷土博物館、2012年
  • 「普賢寺村 養福寺」『新編武蔵風土記稿』巻ノ137足立郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763997/55



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