頭上運搬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/31 16:40 UTC 版)

頭上運搬(ずじょううんぱん)は人が荷物を頭に載せて運ぶこと。世界各地の人類に見られる行動であり、特に女性によって行われる傾向がある[1][2]。荷物を容器にいれて載せたり[3]、荷物と頭の間に輪をはさんで載せたり[4]、荷物を吊るした天秤棒を頭に載せたり[5]する。頭頂部に荷物やその容器をのせる方法と帯を額(前頭部)にかける方法とがある[5]。
Ray Lloydらの研究によれば、頭に載せるものの重量が体重の20%までであれば、十分に修練を積んだ人は通常の歩行に消費する以上のエネルギーを消費せずに運搬できる[6]。一定以上より重い荷物や速い歩行の場合は、背中に載せて運ぶ方が効率的であるとしている[7]。
歴史
日本では、古墳時代の女性埴輪において頭上に壺を置き運ぶタイプが見られる(コトバンク)[8]。彫刻では興福寺#国宝館所蔵の国宝「龍燈鬼」(鎌倉時代)が大きな灯籠を頭上で支えるデザインが見られる[9](天燈鬼は肩に担ぐ)。『一遍上人絵伝』や『北野天神縁起』など中世の絵巻物に頭上運搬が行われていたことが記録されている[10][11]。京都に柴・薪・花を売りに来る女性商人である大原女・白川女も頭上運搬をした[12][13]。近世以降この運搬法は廃れる傾向にあった[11][10]が近代でも西日本の海沿いの地域に伝統が残った[10]。この運搬法は日本各地でイタダク、ササグなどと呼ばれた[5]。アイヌは荷物を背負う際、背負い袋や背負子に取り付けた荷縄を頭の額の部分で支えた[14]。沖縄ではティルと呼ばれる竹籠を頭上にのせて運搬した[5]。国領地方ではティルの紐を前頭部に引っかけ、荷は背に載せる[11]。
北西ヨーロッパでは中世に女性が重く持ちにくいものを運ぶ手段として頭上運搬をしていて、遅くとも14世紀までこの習慣はあったが、19世紀中盤までにほとんどなくなった[2]。
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荷物を金盥に入れて頭上運搬する女性。ナイジェリアにて
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薪を頭に載せる大原女の絵
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容器を頭に載せる乳搾り女の絵(マイルズ・バーケット・フォスター)
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平沢屏山『アイヌ風俗図』(部分)より、子守をするアイヌ女性。荷縄を額に当てて背中の子を支える
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19世紀に描かれた琉球王国の農民。女性は頭にザルを載せる
出典
- ^ 八木奘三郎「頭上運搬」『人類學雜誌』第32巻第10号、1917年、296-299頁、doi:10.1537/ase1911.32.10_296。
- ^ a b Whittle, Jane (2016年2月23日). “Why do women carry things on their heads?”. Women's Work in Rural England, 1500-1700. 2020年3月21日閲覧。
- ^ 関西大学文学部考古学研究室 編『石舞台古墳 〜巨大古墳築造の謎〜 解説書』奈良県明日香村、2012年1月、8頁。 NCID BB12233674。オリジナルの2013年5月16日時点におけるアーカイブ 。2020年3月21日閲覧。
- ^ 太田心平 (2013年10月18日). “頭上運搬用輪”. みんぱくのオタカラ. 国立民俗学博物館. 2020年3月21日閲覧。
- ^ a b c d 須藤功「生活に見る『運ぶ』の諸相」『運ぶ』国書刊行会〈フォークロアの眼 3〉、1977年3月。 ISBN 978-4-336-01596-9。
- ^ Dweck, Jessica (2010年8月27日). “The art and science of carrying things on your head”. Slate. 2020年3月21日閲覧。
- ^ Lloyd, R.; Parr, B.; Davies, S.; Partridge, T.; Cooke, C. (2010-07-01). “A comparison of the physiological consequences of head-loading and back-loading for African and European women”. European Journal of Applied Physiology 109: 607-616. doi:10.1007/s00421-010-1395-9.
- ^ 文化遺産オンラインにおいても「頭に壺を載せる女子頭部」(伊勢崎市赤堀村104号墳出土、古墳後期)が確認できる。
- ^ 興福寺公式ホームページ「寺宝・文化財」参照。
- ^ a b c 石井伸夫「龍蔵と「仏塔」と「いただきさん」」『アワーミュージアム』第56号、徳島県立博物館友の会、2015年7月31日、2020年3月21日閲覧。
- ^ a b c 横出洋二「日本中世における身体技法について: 身体の姿勢を中心とした試論」『奈良史学』第13巻、1995年、55-92頁、 CRID 1050019058225654784、2020年3月21日閲覧。
- ^ 橋本暁子. “【第64回】「いただきさん」”. NAFUマガジン. 新潟食料農業大学. 2020年3月21日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 橋本暁子「京都近郊農山村における柴・薪の行商活動 ―明治前期から1950年代の八瀬・大原を事例として―」『歴史地理学』第53巻第4号、2011年、38-56頁、 CRID 1520853831958912768、2020年3月21日閲覧。
- ^ 大坂拓 (2017年12月). “《エカシレスプリ(古の風習)14》 荷縄あれこれ(1)”. 月刊シロㇿ(アイヌと自然デジタル図鑑). アイヌ民族博物館. 2019年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月8日閲覧。
外部リンク
- 東京国立博物館所蔵『月次風俗図屏風』 - e国宝(国立文化財機構)(3枚目に頭上運搬をする人々が描かれている)
- 検索ワード:頭上運搬 - 朝鮮写真絵はがきデータベース(国際日本文化研究センター)
頭上運搬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/10/18 12:04 UTC 版)
内野から行商に来る「菜売」(菜候)は、『三十二番職人歌合』の図像をみる限り、頭上に巨大な容器に入った菜を載せて、裸足で歩いている(図1)。大原から来る大原女、北白川から来る白川女、桂から来る桂女もそれぞれ、薪や花かご、鮎を入れた桶を頭上運搬(英語版)していたことが、これら京都の「販女」(ひさぎめ)たちの特徴である。 日本でもっとも普遍的・基本的な運搬法であり、現在無形民俗文化財に指定されている「背負運搬」とは、いずれも異なっている。川田順造の研究によれば、頭上運搬の著しい発達がみられるのは「西アフリカ内陸の黒人」であって、一般に「日本人、アメリカ先住民も含む黄人 (モンゴロイド)」においては、肩で重心を支える「棒運搬」、重心の低い「背負運搬」が中心である。 萬納寺徳子(小池徳子)によれば、平安時代の女性はとくに、圧倒的に頭上運搬をしていたようであり、時代が進むにつれ、運搬具も発達し、「背負運搬」「棒運搬」が増えたという歴史がある。1943年(昭和18年)に瀬川清子が全国調査を行なった結果、日本の海沿いや山岳地域には「女性による頭上運搬」が近代以降も根強く残っていたことがわかっている。
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