領域・施設の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 07:11 UTC 版)
「弁天町 (神戸市)」の記事における「領域・施設の変遷」の解説
弁天町は明治12年(1879年)、埋立地に新たに起立した町名である。宇治川東側の川尻にあたるこの土地は慶応4年(1868年)開港神戸之図でみると厳島社・船入場・荷揚場のある入り江として描かれている。埋め立ては明治5年(1872年)にまず行われ、この時は入り江のうち約8,000m2の水面が残された。しかしそこも年を追って埋没して使えなくなったため、明治11年(1878年)、兵庫出在家町の久保善五郎が残り部分を埋め立てて、翌明治12年(1879年)に竣工した。 弁天町は当初神戸区の町名だった。市制施行した明治22年(1889年)からは神戸市の町名で、この頃から昭和6年(1931年)の区政施行で神戸市神戸区の町名となるまでは神戸弁天町(こうべべんてんちょう)という名だった。昭和20年(1945年)からは神戸市生田区の町名で、生田区が葺合区と合併した昭和55年(1985年)からは神戸市中央区の町名となっている。 領域の変遷をみると、昭和12年(1937年)一部が波止場町となり、昭和30年(1955年)に埋立地を編入、昭和55年(1980年)波止場町の一部を編入している。 再開発以前の弁天町は倉庫が立ち並んでいて、弁天埠頭という名の埠頭があり、貨物列車で結ばれていた。昭和4年(1929年)、神戸臨港線小野浜駅(神戸港駅)~湊川駅間が開業。弁天埠頭は埋め立て工事が昭和25年(1950年)に始められ、昭和28年(1953年)に完成、昭和29年(1954年)から使用が開始された。後にこの貨物線は廃線となり、跡地が昭和60年(1985年)から神戸ハーバーランドとして再開発されている。かつての弁天埠頭の東側の地先水面も平成8年(1996年)に埋め立てられ、中突堤西地区(国産・弁天地区)として再開発されている。 昭和55年(1980年に)、兵庫県冠婚葬祭互助会の本社ビルが建てられた。同社は後に平安と社名を変え、平成9年(1997年)に同地に結婚式場「エスタシオン・デ・神戸」をオープンさせた。平安本社ビルは平成12年(2000年)に栄町通へと移転していった。
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