領域・由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 08:10 UTC 版)
プロイセン地方の領域は西側はポメラニア(ポーランド名:ポモージェ、ドイツ名:ポンメルン)でドイツに接し、東はネマン川(ドイツ名メーメル川)を境にポーランドとリトアニアに隣接、ヴィスワ川(ドイツ名ヴァイクセル川)で東プロイセンと西プロイセンに分けられる。東プロイセンの中央には東西にプレゴリャ川(ドイツ名プレーゲル川)が流れ、その河口に中心都市カリーニングラード(ケーニヒスベルク)がある。 プロイセン地方は、1772年のポーランド分割以降全域がプロイセン王国(後のドイツ国)の領域に入っていた。だが、第一次大戦後のヴェルサイユ条約によってダンツィヒ以外の西プロイセンはドイツ国からポーランドへ割譲され、東プロイセンは自由都市ダンツィヒとポーランド回廊によってドイツの飛び地になった。第二次世界大戦勃発(ポーランド侵攻)後、戦時中は再び全域がドイツ国(ナチス・ドイツ)の管理下に置かれたが、大戦後は西プロイセン全域がポーランド領に、東プロイセンはソビエト連邦(ロシア、リトアニア)とポーランドに分割され、それ以降はプロイセンという地域名が現地で使われていない。 第二次世界大戦以前のプロイセンの住民は、東方植民によって移住してきたドイツ人が多数を占めていた。だが、終戦前後にソ連が行ったドイツ人追放または国外避難でほとんどのドイツ人はドイツへ移住し、現在のプロイセンの住民のほとんどはポーランド人、ロシア人またはリトアニア人となっている。 プロイセンという名前は、プルーセン人またはプルッツェン人として知られるヴィスワ河口付近に居住した先住民に由来する。民族大移動以降はソルヴ人やカシューブ人のようなスラヴ系諸民族も移住してきた。またもう一つの説では、ロシアあるいはルーシの近くを「プロシア」と呼んだことから来ているとも言われている。
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