領域の拡大と統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:42 UTC 版)
「ロシア帝国の歴史」の記事における「領域の拡大と統治」の解説
1906年に制定された国家基本法は第1条でロシア帝国を「単一不可分の帝国」であると明記している。加えて第26条では「ロシア皇帝位はポーランド王国ならびにフィンランド大公国と不可分である」とも述べている。 18世紀はじめの大北方戦争(1700年 - 1721年)の勝利によってカレリアの大部分、エストニア、リヴォニア、イングリアなどを獲得したロシア帝国は以降も領土の拡大を続けている。18世紀後半のエカチェリーナ2世の時代にロシア帝国は大きく領土を広げ、三次に渡るポーランド分割によって現在のリトアニア、ベラルーシ、ウクライナ西部に相当する地域を併合し、南部ではクリミア半島を版図に納めている。またウクライナのヘーチマン国家を消滅させて直接支配に置いた。 19世紀はじめのナポレオン戦争(1803年 - 1815年)中にロシアはフィンランドをスウェーデンから分離させて属国(フィンランド大公国)となし、オスマン帝国からベッサラビアを割譲させ、さらにペルシアとの抗争に勝利してザカフカース(南コーカサス)に進出している。ナポレオン没落後のウィーン体制下ではポーランド王国を属国に加えた。19世紀後半にポーランドの自治は失われて直接支配になり、東方では中央アジアを侵略して領土に加えている。 これら領土の拡大により、ロシア帝国は多数の民族を支配するようになり、「諸民族の牢獄」と呼ばれた。これを非難するレーニンのボリシェヴィキは民族自決権の承認を党綱領に加えている。 1917年の二月革命によって帝政が瓦解すると民族・地域単位での多数の国家が現れて独立や自治を要求したが、1922年のソビエト連邦成立以降に独立を保っていたのはフィンランド、バルト三国そしてポーランドのみであった。
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