音楽業歴
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5歳からクラシックピアノを始めた。兄の影響もあって多くの音楽、特に洋楽を聴いて育った。高校の頃には、ジャズ理論なども自ら学ぶ。後に、バークリー音楽大学から帰ってきた先生にバークリーメソッドで音楽理論を個人的に学んでいた。バンドを組んで自作曲を演奏したり米軍キャンプ回りをする一方、20歳の頃にはスタジオミュージシャン(キーボーディスト)としても活動を始める。バークリー音楽大学に行きたい気持ちもあったが、日本でもある程度学べたことと仕事が増えたことで、実践で経験をつけていった。1977年に廣田龍人が率いる「RICKY&REVOLVER」の結成に参加(1984年脱退、後任キーボーディストは吉俣良)。1978年にアン・ミュージック・スクールに入学。 1980年には、業界プレゼンライブ「第1回原宿音楽祭」に出場し優勝。その頃、杏里への楽曲制作を依頼され初めて作曲を手掛けた「思いきりアメリカン」(1982年4月21日)がヒット。これを機に作曲家としても活動を開始(この曲以外の杏里への提供楽曲では、作曲のみならず、すべて作詞も手掛けていて、当時は杏里のサポート・メンバーでもあった)。またこの時、杏里のアレンジをしていた佐藤準の薦めでアレンジャー業も始めた。 25歳の頃、大村憲司との出会いをきっかけに井上陽水、坂本龍一、高橋幸宏、大貫妙子、麗美など数多くのアーティストの楽曲やライブにキーボーディストとして参加したり、松本隆・筒美京平コンビの楽曲の編曲を手掛けるなど、瞬く間に引くてあまたとなる。 1987年に、桑田佳祐の1stソロシングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」(1987年10月6日)、2ndソロシングル「いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)」(1988年3月16日)のアレンジに参加し、1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』(1988年7月9日)と共に当時あまりメジャーではなかった小林が高く評価されるきっかけとなった。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と桑田は語っている。 1988年、1989年には、小林自身が歌っているデモテープを聴いた大貫妙子の勧めで「小林武史」としてソロアルバムを2枚出したが、ほとんどプロモーションが無かったこともありセールス的には大きな影響を生み出せなかった(1stアルバム「Duality」に際しては制作費に3千万円かけたが、売り上げは1万枚にも満たなかった。「このころ、すでに女性ボーカルを探していたが見つからなかったので自分が歌ったが、難しかった」と語っている)。 サザンオールスターズの活動再開後の初シングル「みんなのうた」(1988年6月25日)からサザンの編曲にも参加するようになった。続くアルバム『Southern All Stars』(1990年1月13日)でもアレンジに参加し、桑田が監督した映画『稲村ジェーン』の音楽監督も務めた。収録曲で編曲を担当した「真夏の果実」「希望の轍」はサザンのライブでは必ずと言っていいほど歌われる曲となった。翌1991年は、原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』(1991年6月1日)のプロデュース、編曲を手掛けた。この頃桑田が結成した(小林曰く“冗談のような”)期間限定バンドSUPER CHIMPANZEEにも参加、日清パワーステーションで洋楽、NHKで邦楽のカバーライブを行った。このライブの模様は桑田佳祐『Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26』(DVD/VHS/LD)で観ることができる。 その後もサザンの活動に参加し、『世に万葉の花が咲くなり』(1992年9月26日)のアルバムプロデュースに加わる。桑田からの評価は揺るぎなかったが、評価の高さのあまりレコーディングの際にバンドメンバーではなく小林一人に頼りすぎてしまう状態になったため(桑田は後に「あいつは危ないヤツだとわかった」と語った)、シングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」(1993年11月20日)を最後にサザン・桑田の音楽活動に参加することはなくなった。 この頃、ほかにプロデュースを手掛けていたアーティストに大貫妙子や渡辺美里、小泉今日子などがおり、作曲・編曲を手掛け小泉唯一のミリオンセラーとなる「あなたに会えてよかった」(1991年5月21日)で第33回日本レコード大賞編曲賞を受賞。後に「この曲でメロディーメーカーとして世間に認知されたことが大きな自信になった」と小林は語っている[要出典]。
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