音楽業界への復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 09:37 UTC 版)
一旦は音楽業界を退いたカリオピであったが、1996年にはスコピエフェストに楽曲「Samo Ti」で参加して優勝し、復帰を果たす。この優勝によってユーロビジョン・ソング・コンテスト1996のマケドニア代表権を獲得し、同大会の予選に参加したものの、本選に進むことは出来ず、マケドニア初のユーロビジョン・ソング・コンテスト参加は実現しなかった。これ以降カリオピは音楽活動を再開し、自身の楽曲の制作や、他の歌手のための作曲に取り組んだ。1999年には3枚目のアルバム『Oboi Me』が発売され、プロモーショナル・ツアーを実施した。 2001年には、次のアルバム『Ako denot mi e nok』の制作にダルコ・ディミトロフが加わることが明かされ、また同名のシングルやプロモーション・ビデオの発表、プロモーショナル・ツアーの実施に加えて、アルバム発売にあわせてカリオピの復活劇を描いたドキュメンタリーがテレビ放送されるなど、精力的にプロモーションが行われた。 2002年には同年のユーロビジョン・ソング・コンテストのマケドニア代表選考に参加するゴルギ・クルステフスキ(Gorgi Krstevski)のために「Za samo eden den」を制作し、クルステフスキのバック・ヴォーカルとして歌い、5位に入賞した。この年、ライブ音源と2曲の未発表曲を収録したアルバム『Najmila – Kaliopi Live and Unreleased』が発売された。 2003年には次のアルバム『Ne Mi Go Zemaj Vremeto』が発売される。アルバムではロマ歌手のエスマ・レジェポヴァ(Esma Redžepova)やマケドニアの俳優ヴァシル・ザフィルチェフ(Васил Зафирчев)との共演に加え、マケドニア語の他にセルビア・クロアチア語の楽曲が収録され、旧ユーゴスラビア地域に対してもプロモーションが展開された。
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