音楽業界以後
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同大学卒業後、ロンドンのレコード店でレコード店員(のち店長)として働いていたとき、英語の母語話者を求める音楽出版社シンコー・ミュージックの求人に応じて1974年に来日。同社国際部で、英米の会社に向けてビジネスレターを書く仕事を担当した。1976年には"CALROS ALPACA"の変名で、チューリップのビートルズカバーアルバム『すべて君たちのせいさ』の英語発音指導及び一部ボーカル、作詞なども担当。 1980年、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のマネジメント事務所、ヨロシタ・ミュージックに転職し、YMOの国外コーディネートや楽曲の英語・補作詞などを担当した。 1983年公開の映画『戦場のメリークリスマス』に出演した坂本龍一のラロトンガ島での撮影に同行した。その際に、小さな島故に島内の酒場で共演者のデヴィッド・ボウイに遭遇。ある時、ボウイが聴いていたカセットテープの曲は、コースターズだったという。 その後独立し放送業界にも進出。TBSテレビ『ポッパーズMTV』をはじめ、NHK-FM『ウィークエンドサンシャイン』、InterFM『BARAKAN BEAT』などテレビ・ラジオの音楽番組のパーソナリティを数多くつとめてきた。決してメジャーではなくとも、良質な音楽を現在も多数紹介し続けている。好きなアーティストはヴァン・モリソン、デレク・トラックス、ボブ・ディラン、リトル・フィート、ザ・バンド、グレイトフル・デッド、マディ・ウォーターズ、フェアポート・コンヴェンション、パンチブラザーズなど。ブルース、ニューオーリンズ、アフリカのミュージシャンも好んで紹介している。また、ハードロック・ヘヴィメタルは苦手な音楽であるとも語っている。レッド・ツェッペリンなども、僕は駄目でしたと率直に感想を述べている。 NHK-BS『Begin Japanology』では、英語で日本文化を紹介している。その一方で、米国CBSの報道番組を紹介するTBS『CBSドキュメント』において、1988年の番組開始から2014年まで司会を務めた。 2007年12月8日、クエーカーのキリスト友会・東京月会で行われた、音楽と平和をテーマとしたトークショーの準備中に、何者かにより催涙スプレーを吹きかけられる被害に遭った。 「日本の音楽で一番好きなものは」という質問には、大滝詠一のアルバム『LET'S ONDO AGAIN』と答えている。そのレコードを笑いながら聴いていると、妻に呆れられたという。中でも、布谷文夫が歌う「呆阿津怒哀声音頭」(レイ・チャールズの「What'd I Say」のパロディ)の歌詞を解読できた時の爆笑は特に印象に残っているとのこと。 2012年9月14日から2014年6月30日まで、InterFMの執行役員を務めた。ラジオに魔法をかけた100曲リストを発表し、「ラジオに魔法を取り戻す」キャンペーンなどを展開した。 2013年、第50回ギャラクシー賞 DJパーソナリティー賞を受賞した。 2014年9月、InterFMでパーソナリティを務めていた『BARAKAN MORNING』が突如打ち切りとされた。この事態に対しバラカンは、「僕を起用すること自体が間違いだった」と語っている。
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