非国教徒の擁護とフランス革命
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「ジョゼフ・プリーストリー」の記事における「非国教徒の擁護とフランス革命」の解説
フロギストン説防衛に忙しかったプリーストリーだが、バーミンガムで出版した著作の多くは神学に関するものだった。1782年、Institutes の4巻目である An History of the Corruptions of Christianity を出版し、原始キリスト教の教えがいかにして「堕落」し歪んでいったかを記した。スコフィールドはこの作品について「混乱していて、くどくど繰り返し、詳細で徹底的」と評した。この著書はキリストの神性から聖餐式の適切な形式にまで言及している。1786年には An History of Early Opinions concerning Jesus Christ, compiled from Original Writers, proving that the Christian Church was at first Unitarian という挑発的な題(キリスト教は本来ユニテリアン主義のようなものだった)をつけた本を出版。トーマス・ジェファーソンは後にこの2冊の本に強い影響を受けたと記している。この本を受け入れたのはジェファーソンや合理的非国教徒などごく一部で、三位一体を否定するなど神学上の過激さゆえ、酷評されることになった。 1785年、Corruptions をめぐる小冊子での論争合戦に突入し、The Importance and Extent of Free Enquiry を出版して宗教改革は教会を真に改革したわけではないと主張した。その中で次のように書いた。 従って、今はユニテリアンを公然と表明する教会が少ないとしても落胆しないようにしよう…… 我々はいわば、誤りと迷信の古い建物の下にすこしずつ火薬を置いているようなもので、一度火花が飛べば瞬時に爆発するだろう。結果として、その体系は長い時間をかけて積み上げられたものだとしても、同じようなものが2度と構築されないくらい一瞬で転覆するかもしれない…… 友人たちからはそのような扇情的な言葉を使うことをやめるよう諭されたが、プリーストリーはそのまま出版し、「火薬のジョー」の異名を持つことになった。フランス革命のころだったため、この小冊子は革命を呼びかけているようにも受け取られ、プリーストリーへの攻撃はさらに激化し、教会ともども訴えられさえした。 1787年、1789年、1790年と非国教徒はクラレンドン法典の廃止を求める動きをしている。当初、その動きが成功したかに見えたが、1790年、革命の噂が広まり、議会ではその廃止が成立しなかった。当時最も影響力のあったメディアである政治風刺画では、非国教徒とプリーストリーが槍玉にあげられた。議会では非国教徒が頼りにしていたウィリアム・ピットとエドマンド・バークが廃止反対にまわり、プリーストリーらはその裏切りに怒った。プリーストリーは Letters to William Pitt や Letters to Burke と題して一連の文書を公表。2人を説得しようとしたが、これらは単に一般大衆がプリーストリーへの怒りを募らせる結果を招いた。 プリーストリーをはじめとする非国教徒はフランス革命支持を表明していたため、革命を画策しているのではないかという疑念が徐々に蔓延していった。ピット政権はプリーストリーの上述の文章を彼らが政府の転覆を画策している証拠だと主張。バークは『フランス革命の省察』(1790) で自然哲学者、特にプリーストリーをフランス革命と結びつけた。バークはまた共和国体制を錬金術やもろい空気と結びつけ、プリーストリーとフランス人化学者らによってなされた科学的業績を嘲った。バークはその後も「火薬のジョー」と科学とラヴォアジエを結びつけ、ラヴォアジエがイギリスとの戦争に向けて火薬の改良を行っているなどとも記している。世俗の政治家であるバークが科学に反対して市民社会の基礎は宗教であるべきだとしたのに対し、聖職者だったプリーストリーは宗教を市民社会の基礎にせず個人の私生活に留めておくべきだとした、という逆転現象が起きている。
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