非国教徒の代弁者として、政治哲学者として
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「ジョゼフ・プリーストリー」の記事における「非国教徒の代弁者として、政治哲学者として」の解説
プリーストリーの政治的著作の多くは、非国教徒の権利を制限しているクラレンドン法典の廃止を求めるものだった。非国教徒はイングランド国教会の三十九信仰箇条 (Thirty-nine Articles) を受け入れない限り、政治家になれず、軍に入隊できず、オックスフォード大学やケンブリッジ大学にも入学できない。非国教徒は二流市民として扱われていると主張して、たびたびこの法の廃止を議会に請願していた。 プリーストリーの友人たち、特に合理的非国教徒らは非国教徒の経験した不正行為について本を書くよう彼に勧めた。そうして出版されたのが Essay on the First Principles of Government (1768) である。近代的自由主義のさきがけとなる著作であり、当時としては珍しく政治的権利と公民権を明確に区別し、公民権の拡大を主張している。公私を明確に区別し、政府は公的な面だけを統制すべきだと主張した。特に教育と宗教は私的な良心の問題であり、国家によって管理されるべきでないと主張している。後にプリーストリーが急進主義に傾いていくのは、イギリス政府がそういった個人の自由を侵害していると確信したためだった。 非国教徒の権利を守るため、イギリス法学界の権威だったウィリアム・ブラックストンの攻撃に対して反論している。ブラックストンの Commentaries on the Laws of England (1765-69) はイギリス法の標準的解説書となったが、その中で非国教徒であること自体が犯罪であり、非国教徒が愛国者であるはずがないと書いている。激怒したプリーストリーは Remarks on Dr. Blackstone's Commentaries (1769) を出版し、ブラックストーンの法解釈、文法(当時は高度な政治的主題だった)、歴史解釈の間違いを指摘した。ブラックストーンは改訂版で、非国教徒が愛国者であるはずがないという部分を削除し、文言を修正したが、非国教徒であることが犯罪だという意味の記述は残した。
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