電算化の遅れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 07:27 UTC 版)
東京証券取引所理事の馬場光雄は、取引所機能と相場情報伝達機能をコンピュータ化する構想を持っており、伝達役を担う企業として時事に白羽の矢を立てた。また、コンピュータによる経済情報通信サービス「ストックマスター (Stockmaster) 」を擁するロイターは、この事業を共同展開するよう時事に持ちかけた。 時事の編集局長安達鶴太郎は、ニューヨーク証券取引所 (NYSE) がコンピュータを導入したという情報を知った。経済通信を生業にする時事にとって、NYSEのこの動きは重大な示唆を与えているかもしれないと感じた安達は、ニューヨークの外交問題評議会への派遣が決まった外報部記者の小林淳宏に調査を依頼した。1962年にニューヨークへ渡った小林は、コンピュータについての調査に没頭した。 取引所で小林は、入力された約定価格が瞬時に電光掲示板に表示され、さらに外部にも配信されるさまをつぶさに観察した。「コンピュータ専門家」を自任する日本の学者ですら、コンピュータを計算機としてしか捉えていなかったこの頃にあって、NYSEはコンピュータを人間にも代わりうる機械として使用している。この驚愕の事実を、小林は膨大な報告書にまとめ上げた。 「ニューヨーク証券取引所の電算化」と題されたこの報告書は日本の時事本社に送られ、長谷川に回覧された。さらに、証券主任小林利三を通じて東証の馬場光雄の元にも渡ったのである。小林利三は馬場と東証の電算化を検討する一方、東証の株価をコンピュータで伝達する事業を始めるべきだと、何度も長谷川に進言した。 一方、ニューヨークのアルトラニク・システムズ社 (Ultranic Systems Co.) が開発した「ストックマスター」の端末を米国以外で販売する権利を獲得したロイターは、苦労を重ねつつも欧州各国で端末を販売し、強固なネットワークを築き上げていった。そして、日本での事業展開を実現すべく、時事との提携を模索し始めたのである。 ロイターの社長ジェラルド・ロング (Gerald Long) は自ら日本を訪れ、再三にわたり長谷川との面会を求めたが、居留守と思しき回答が返ってくるばかりであった。やっと面会できた長谷川に対してロングは、東証の電算化の必然性とストックマスターの重要性を諄々と説き、時事が共同販売をしてくれるならば利益を折半するとまで語った。 しかしいずれの提案にも、長谷川は首を縦に振らなかった。コンピュータ化のために必要とする莫大な投資に時事が耐えられるか。また、景気の波に左右されやすい証券市場で安定収入が得られるか。長谷川はこうした点を懸念した。 長谷川がコンピュータ化に二の足を踏んでいる間に、証券の世界では別の動きが進行した。1969年春に行われた日本経済新聞社と野村證券とのトップ会談をきっかけに、両社が出資する合弁会社をコンピュータでの相場情報伝達の担い手にする計画が浮上した。大蔵省の後押しを受けた日経は1971年に、野村をはじめとする大手証券会社や日立製作所と共に「株式会社市況情報センター (QUICK) 」を設立し、ロイターも交渉の末、QUICKへの共同出資を果たした。 QUICKは、日立が開発した専用端末「ビデオ-I」を武器に、急成長を遂げた。対する時事は結果として、大きな好機を逸することとなった。
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