集団的事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 17:50 UTC 版)
タイタニック号の沈没(1912年4月14日) 豪華客船タイタニック号が氷山に衝突、2,200名以上の乗客が凍て付く北大西洋のニューファウンドランド沖の海に投げ出された。低い水温により、浮遊物にしがみ付いて助けを待っていた人の大半が低体温症によって意識を失い、溺死した。同事故では、ただでさえ少ない救命艇が、パニックに陥った船員の誤った判断により、定員に満たないまま降ろされるという不手際もあって、結果1,503名が死亡したとされる。当時の天候は気温と水温が低く、長時間濡れたままでは、いずれにしても低体温症による意識喪失が起こった訳だが、微風で在った事から、漂流物によじのぼっていた方がより長く救助を待てたようである。沈没の2時間後、他船によって救助されたが殆ど亡くなっている中で2名が生存していた。医学検査の結果、飲酒して血中アルコール度が高いことぐらいの差しかなかったことで特例ケースとなっている。 阪神・淡路大震災(1995年1月17日) 早朝の午前5時46分頃、兵庫県神戸市を中心とした都市直下型地震が発生した。人口が密集して木造建築が多い地域に、火災が多く発生した。また、「欠陥住宅」の問題が露呈し、家具の下敷きになって死亡する事故も発生した。阪神高速道路も地震の影響を強く受け、根元からひっくり返って倒壊し、コンクリート建築の欠陥が露呈した。都市機能が復旧した後も、仮設住宅で生活していた人を中心に孤独死する者も出て、街の復興の裏で個人レベルではなかなか生活の復旧が進まなかったことも問題の一つにあがっており、後の都市災害における援助の在り方に幾つかの課題を投げ掛けている。 ニューヨーク世界貿易センタービル崩落(2001年9月11日) この事件では、炎上中のビルで停電が発生し、初期の段階では非常階段を使って脱出できたという説もあるが、照明が失われて脱出経路が判り難く、ビルに取り残されたままになった人も多かったとされる。また航空機衝突の際に飛び散った破片や瓦礫が周辺地域に降り注ぎ、これらの落下物による負傷者も多数発生した。 東日本大震災(2011年3月11日) 津波により孤立した建物が数多く発生した。自衛隊がヘリによる上空からの救助活動を行った。
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