闘蟋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 14:19 UTC 版)
中国には、闘蟋(斗蟋/とうしつ/ドウシー)と呼ばれ、秋にコオロギのオス同士を喧嘩させて楽しむ伝統的昆虫相撲競技がある。ただし、子供の楽しむ純娯楽的なものではなく、闘犬、闘鶏、闘牛、あるいはタイ王国の国技「ムエタイ」やヒメカブトムシの「メンクワン」等と同様、歴史的には賭博競技として栄えてきた側面を強く持つ。 唐の宮廷で始まり1,200年の歴史を持つといわれ、南宋の宰相賈似道がコオロギ相撲のための飼育書『促織経』を著している。その後、宮廷のみならず民衆の間にも娯楽として普及した。映画『ラストエンペラー』でも描写された娯楽である。人々の身分や地方によって、様々な流儀やスタイルが生まれてきた。 清代の怪奇小説集『聊斎志異』は、宮廷が各地に優れたコオロギの献納を割り当て、応じられない各地の責任者を厳罰に処するなど闘蟋流行の裏面を描く。ある村の役人は上司から強いコオロギの捕獲を命じられ、網を持って村中を探し回るが見つけることができず、罰として立てなくなるほどの激しい拷問を受ける。ようやく一匹を捕まえるが、幼い息子が誤って殺してしまい、責任を感じた息子は井戸に飛び込み自殺を図るなど、宮廷の闘蟋流行に伴う民衆の悲劇を描写する。 闘蟋の対象となるコオロギの種類はツヅレサセコオロギ属が主で、闘蟋用に育成された個体は“闘蟋戦士”と呼ばれる。闘蟋戦士の育成、管理、試合実施に使用される様々な容器、器具も発達しており、それらは伝統工芸品としても一大文化を形成している。 文化大革命の際は、他の多くの伝統文化と同様、非生産的な旧文化として紅衛兵集団による弾圧の対象となったが根強く生き延び、現在もなお盛んに愛好され発展を続けている。様々な大会も催されており、優勝したコオロギは「虫王」「将軍」といった称号で呼ばれる。 先述のように、本場で闘蟋に使用される種はツヅレサセコオロギが多いが、他の属、種を使って行うことも出来る。たとえばミツカドコオロギやエンマコオロギ等がそれらにあたるが、現代闘蟋は同種でも体格を厳密かつ公正に計量した体重制で競技がおこなわれるため、ツヅレサセコオロギ以外が使われるのはあまり一般的ではない(闘争行動への適応という点だけ見ればミツカドコオロギのほうが向いている)。 日本の場合、多摩動物公園昆虫園のイベントで、季節を問わない入手のし易さからフタホシコオロギ(Gryllus bimaculatus)が用いられた例があるが、これも中国で闘蟋に使われることのある種である。
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