関西急行鉄道・近畿日本鉄道への改組とは? わかりやすく解説

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関西急行鉄道・近畿日本鉄道への改組

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 08:36 UTC 版)

大阪電気軌道」の記事における「関西急行鉄道・近畿日本鉄道への改組」の解説

日付1937年4月1日*は1936年1943年4月1日​*は1942年大阪電気軌道参宮急行電鉄関西急行電鉄関西急行鉄道設立1910年9月16日 1927年9月28日 1936年1月24日 1910年9月16日 代表者社長 種田虎雄 公称資本金(払込額)45,720,000円(35,560,000円) 45,770,000円(30,920,000円) 8,200,000円(3,700,000円) 139,970,000円(119,920,000円) 発行済株式総数*914,400 915,400 N/A 2,799,400 総資産*96,468,16679,552,398N/A 250,664,819負債*44,932,33933,901,202N/A 95,332,759円 営業利益*(鉄道事業)5,785,229円(4,533,574円) 1,246,314円(1,252,106円) N/A 16,414,563円(15,924,222円) 経常利益*3,860,642144,861N/A 14,663,528配当金*2,912,533円 なし N/A 8,337,800配当率*8 % - N/A 8 % 戦時体制下にあって国家神道的な政策幸いして伊勢神宮橿原神宮吉野神宮熱田神宮などへの参拝旅行は「戦時不急不要旅行の制限」の例外扱いとなり、これらを版図とする大軌グループ業績大きく伸張した。大軌創業30年目に当たる1940年昭和15年)の「皇紀2600年奉祝式典」では、年間参拝者数が1千万人に達した橿原神宮をはじめ、他の神宮への参拝客も捌くべく、大軌参急とも臨時列車多数設定するなどして輸送努めたこの頃大軌グループ積極的に多く電鉄会社組み入れ事業規模拡大させていった参急1940年昭和15年1月関西急行電鉄を、同8月には養老電鉄それぞれ合併続いて1941年昭和16年3月には大軌参急合併により、関西急行鉄道関急)に改組。更に1943年昭和18年)に関急大鉄合併し1944年昭和19年)には南和電気鉄道(現・近鉄御所線)と信貴山急行電鉄をも合併して路線網は500kmを超えた1944年昭和19年6月関急戦時統合により南海鉄道合併全線630km余り擁する巨大鉄道会社近畿日本鉄道近鉄)が成立する。 だが、旧大軌関急と旧南海との間には資本上も沿革上も人脈上も元々接点がなく、国策による強制的な合併ということもあり、初めから無理が生じていた。そこで戦後1947年昭和22年6月、旧南海傍系会社近鉄合併しなかった高野山電気鉄道南海電気鉄道南海電鉄)と改称の上近鉄より旧南海鉄道路線譲受し、旧南海との合同解消。この結果、旧関急系の路線のみが近鉄として存続し、現在に至っている。

※この「関西急行鉄道・近畿日本鉄道への改組」の解説は、「大阪電気軌道」の解説の一部です。
「関西急行鉄道・近畿日本鉄道への改組」を含む「大阪電気軌道」の記事については、「大阪電気軌道」の概要を参照ください。

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