関東軍の競馬戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 23:31 UTC 版)
最初の大連の競馬は上海、天津などのイギリス人が経営する競馬場からの転戦馬が多かったという。イギリス人の競馬は騸馬が多いが、関東軍はこれを嫌い、関東州の競馬は満州産牝馬限定で行わせるようになった。また、関東州の競馬ではスピードは速いが軍馬には向かないサラブレッドを徹底的に排除している。 当時の軍隊では騎兵、大砲曳馬、輜重馬と馬は重要な戦力だったが、日清戦争、義和団の乱、日露戦争と日本陸軍が大陸に進出するたびに、日本馬の貧弱さと性質の悪さが露呈していた。諸外国の軍人からは「日本軍は馬のようなものに乗っている。」「日本軍の馬は家畜ではなく野獣である。」と馬鹿にされ、日本陸軍自身も日本馬の貧弱さと性質の悪さに頭を抱えた。日本陸軍はシベリア出兵の折に蒙古馬の耐候性と強靭さに注目し、蒙古馬を中心とした馬政計画を考えていったという。 大連で始まった関東州の競馬は関東軍と関東庁、満鉄の合意の元で満州産牝馬限定とされた。良い馬を量産するには良牡馬は少しでいい(牡馬は年に100頭以上に種付けが可能)しかし、牝馬は年に1頭しか仔馬を産めないために軍は馬産のカギは良い牝馬を多く集めることだと考えた。競走馬として集めた多数の満州産牝馬に関東軍が用意した選び抜かれた良質なアングロアラブ系種牡馬を掛け合わせて馬の改良を考えたのである。 関東軍と関東庁、満鉄は毎年、満蒙(満州と内蒙古)で優れた牝馬を購入する(価格は150円から220円程度 )。関東軍が購入した牝馬は1頭に付き50円の補助金を付けて抽籤配布する(馬主にとっては格安で購入できる。補助金の額も年によって変動している30円から90円)。関東軍と関東庁、満鉄は補助金に使った予算を競馬の売り上げから補充する。といった流れで行い、競走を満蒙牝馬限定で行えている限り、軍は懐を痛めずに(痛むのは馬券購入者の懐である)牝馬を集められ、馬の購入者は格安で馬主になれる。この牝馬が競走から引退したら繁殖牝馬とし、陸軍が用意した優良な種牡馬を掛け合わせるのである。この種付け事業は関東軍と関東庁、満鉄が協力して各地に種牡馬を派遣して種付をして回っている。競馬を満蒙産牝馬限定にしないとこのサイクルは上手くいかない。また、満蒙産牝馬限定とすることでスピードは速いが軍馬には向かないサラブレッドの排除が容易になる。もちろん、満蒙産牝馬と軍が用意したアラブ系種牡馬から生まれた牝馬は出場が可能である。 サラブレッドを廃し軍馬向けの馬を推奨したい軍部に対して、サラブレッドを知ってしまった内地の競馬ファンはサラブレッドによるスピードのある見ごたえする競馬を望む。ファンが望めば競馬会もそれを望み、馬主や生産者もサラブレッドを望む訳である。したがって内地の競馬ではサラブレッドの排除は徹底できなかった。しかしサラブレッドが最初から徹底的に排除されており見比べる馬が満州産牝馬しかいなければ、それはそれでレースを組めるし競馬ファンも競馬を楽しめるのである。新しく日本人の競馬が始まる関東州、満州では軍が競馬を主導して陸軍の理想とする競馬を行っていく。 関東軍と関東庁、満鉄は競馬を満鉄付属地に拡大し次に奉天に競馬場をつくるが、奉天の競馬場は関東軍と関東庁、満鉄と日本外務省の対立を引き起こし、関東軍が独走していくことの一つのきっかけにもなっている。
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