関東軍に逮捕される
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:26 UTC 版)
1931年(昭和6年)満州事変勃発の際、馮庸(ひょうよう:張学良の義兄弟)を逃亡させた疑いで、関東軍に睨まれ逮捕される。一時は処刑の危機に瀕したが、釈放される。しかし、この事件がもとで満鉄を退職。スポーツ関係のすべての職も退き、1932年レークプラシッドオリンピックの団長も辞退した。 1934年(昭和9年)満州陸上競技革新連盟を設立。 1938年(昭和13年)1940年東京オリンピックの陸上コーチに就任。(その後、東京オリンピックは日中戦争の影響で開催返上) 1939年(昭和14年)中江丑吉(中江兆民の長男で中国古代思想研究者)に北京滞在を勧められ、北京国立師範大の体育専任教授に就任。 1945年(昭和20年)4月、長男 平一が特攻隊で戦死(享年22歳)。6月、郷里の福岡県芥屋村に引き揚げ、農業に従事。
※この「関東軍に逮捕される」の解説は、「岡部平太」の解説の一部です。
「関東軍に逮捕される」を含む「岡部平太」の記事については、「岡部平太」の概要を参照ください。
- 関東軍に逮捕されるのページへのリンク