関東軍参謀時代とは? わかりやすく解説

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関東軍参謀時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 23:05 UTC 版)

石原莞爾」の記事における「関東軍参謀時代」の解説

石原昭和2年1927年)に書いた『現在及び将来に於ける日本国防』には、既に満蒙領有論が構想されている。また、関東軍満蒙領有計画』には、帝国陸軍による満蒙占領日本国内問題解決するという構想描かれていた。 昭和3年1928年)に関東軍作戦主任参謀として満州赴任した自身最終戦争論を基にして、関東軍による満蒙領有計画立案する昭和6年1931年満州事変起こし23張学良軍を相手に、1万数千関東軍満州占領した柳条湖事件記念館に首謀者としてただ二人板垣石原レリーフ掲示されている。満州事変きっかけ行った満州国建国では「王道楽土」、「五族協和」をスローガンとし、満蒙領有論から満蒙独立論へ転向していく。日本人国籍離脱して満州人になるべきだと語ったように、石原構想していたのは日本及び中国父母とした独立国(「東洋アメリカ」)であった。しかし、その実は、石原独自の構想である最終戦争たる日米決戦備えるための第一段階であり、それを実現するための民族協和であった指摘されるさらには関東軍に代わって満州国協和会による一党独裁制確立して関東軍から満州国自立させることも主張していた。

※この「関東軍参謀時代」の解説は、「石原莞爾」の解説の一部です。
「関東軍参謀時代」を含む「石原莞爾」の記事については、「石原莞爾」の概要を参照ください。

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