特定非営利活動法人 長崎人権平和資料館
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長崎人権平和資料館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/23 02:07 UTC 版)
| 施設情報 | |
|---|---|
| 正式名称 | 長崎人権平和資料館 |
| 事業主体 | 特定非営利活動法人 長崎人権平和資料館 |
| 管理運営 | 特定非営利活動法人 長崎人権平和資料館 |
| 開館 | 1995年(平成7年) |
| 所在地 | 〒〒850-0051 長崎県長崎市西坂町9-4 |
| 位置 | 長崎人権平和資料館 |
| 最寄バス停 | 長崎バス 長崎駅前 |
| 外部リンク | https://www.nagasakijinkenheiwa.com/ |
| プロジェクト:GLAM | |
長崎人権平和資料館(ながさきじんけんへいわしりょうかん)は、長崎県長崎区西坂町にある資料館。
概要
日本の戦争加害の歴史と平和の意義を伝えることを目的とした私設資料館である。戦争や原爆による被害の悲惨さを記憶に留めるとともに、日本によるアジア侵略と加害の事実を史実に基づいて伝えることを重視している。 同館は、被害と加害の双方を理解することが平和構築の基礎であるとし、戦争責任の明確化と戦後補償の実現、反核・反戦・反差別の理念の普及を目的として活動している。また、来館者が被害者の痛みに思いを寄せ、人間としての連帯と平和への責任を考える契機となることを目指している[1]。
資料館の特色として、太平洋戦争における日本の「加害性」にこだわり、日本の加害責任と戦後補償問題に重点を置いていることを挙げている[2]。
朝鮮新報社が2022年に行った取材によると、同館理事長の崎山昇は「あまりに外の世界が偏っているから」「日本は過去の戦争で朝鮮半島や中国、アジア諸国へ植民地や侵略といった加害行為を行った。日本ではこの重要な視点が抜け落ちている」などと述べている[3]。
展示内容
館内は2階建てである。
- 1階
朝鮮人被爆者などの外国人被爆者の実態、強制連行による日本統治時代の朝鮮人徴用当時の宿舎や炭鉱の再現展示[4][3]
- 階段部
日本のアジア侵略に関する写真展示[5]
- 2階
皇民化、思想統制、強制連行、慰安婦、南京大虐殺、731部隊、戦後補償に関する展示[6]
館名の変更経緯
1995年の設立当時は「岡まさはる記念長崎平和資料館」という名称であったが、館名に冠していた平和運動家の岡正治が生前に性暴力を行っていたことが2020年に判明したことにより、2023年12月から「長崎人権平和資料館」に館名を変更している[1][7][8][9]。
交通アクセス
バス
脚注・出典
- ^ a b “設立趣旨・館名変更の経緯”. 特定非営利活動法人 長崎人権平和資料館. 2025年10月23日閲覧。
- ^ “資料館の特色”. 特定非営利活動法人 長崎人権平和資料館. 2025年10月23日閲覧。
- ^ a b ““偏った認識”正す場に/長崎で加害の歴史語る、岡まさはる記念長崎平和資料館”. 朝鮮新報社. (2022年11月6日) 2025年10月23日閲覧。
- ^ “1階展示”. 特定非営利活動法人 長崎人権平和資料館. 2025年10月23日閲覧。
- ^ “階段部”. 特定非営利活動法人 長崎人権平和資料館. 2025年10月23日閲覧。
- ^ “2階”. 特定非営利活動法人 長崎人権平和資料館. 2025年10月23日閲覧。
- ^ “長崎人権平和資料館が再開 岡正治氏の性暴力問題 放置の背景を自己検証 新展示で説明”. 長崎新聞社. (2024年4月2日) 2025年10月23日閲覧。
- ^ “故・岡正治氏の性加害告発を受け休館中の長崎人権平和資料館が4月に再出発 性差別や性暴力に関する展示に見直しへ”. 長崎文化放送株式会社. (2024年3月28日) 2025年10月23日閲覧。
- ^ “「性暴力」に向き合う 加害認めた長崎の平和資料館が半年ぶりに再開”. 朝日新聞社. (2024年4月1日) 2025年10月23日閲覧。
- ^ “アクセス”. 特定非営利活動法人 長崎人権平和資料館. 2025年10月23日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 長崎人権平和資料館のページへのリンク

