銀行同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 14:05 UTC 版)
「三国同盟 (1882年)」の記事における「銀行同盟」の解説
管理局の根拠法であるムハレム勅令の第15条は、同局の評議会議長職を英仏代表が交代で務めるものと規定していた。19世紀末、オスマン帝国への新規投資で仏独資本が優位となった。イギリスは自身で保護国化したエジプトの開発に傾斜していた。このとき、ドイツ銀行が鉄道保証財源として関税収入をほしがっていた。管理局は収入の先取特権をもっていたので、先の15条が保証財源を確保する上で障害となっていた。しかし同条には、各国の公債保有状況に「本質的変化」が生じたら各国代表で議長を選びなおしてよいとも書いてあった。「本質的変化」とはそもそも勅令が対象とした普仏戦争以前の公債が大量に転売された場合をさしており、ドイツが主に保有する1880年代以降の新規公債は関係ないはずであった。 するとごねるしかない。1898年3月、ドイツ代表リンドウ(Rudolf Lindau)が「本質的変化」の発生を主張、三国同盟各国代表の連名で管理局の議長選挙の可否を発議した。翌年1月にフランス側がイギリス債権にオランダ・ベルギーの分を加算するなどして反駁した。フランス側の代表は1892年から1908年までずっとレオン・ベルジェ(Léon Berger)であったが、バグダード鉄道をふくむ帝国内の鉄道5社と埠頭会社2つの重役と、さらにたばこ公社副社長を兼務する大物であった。加算を不当とするなどの再反駁の後、ベルジュは議長として和解を模索した。結局1901年4月、元ジュネーブ財務官僚・現スイス連邦評議会副議長のアドー(Gustave Ador)が調停委員となり、翌年2月に仲裁判決が出て議長選挙の可能性が潰えた。要旨は以下である。 「本質的変化」とは、英仏保有債権の数量・価値が他国よりも低い場合に限る。 債権の数量・価値は市場価値ではなく、その銘柄・額面と固有の抵当財源の有無で決まる。 議長選出にあたり、ベルギーが保有する債権額は英国保有分に加算・換算されてはならない。
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