銀行員から政治家へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 06:05 UTC 版)
1948年(昭和23年)、兵庫県川辺郡六瀬村(現在の猪名川町)柏原の農家に、5人兄弟の末子として生まれる。兵庫県立伊丹高等学校卒業 後、三和銀行(三菱UFJ銀行の前身行)に勤務。その傍ら日本民主青年同盟の活動を経て、日本共産党に入党。筆坂自身と同じ銀行員という経歴を持つ作家の小林多喜二を尊敬していたことも、日本共産党の活動に尽力していく要因となった。 三和銀行を25歳で退職し、日本共産党国会議員秘書となる。旧中選挙区東京一区候補、政策宣伝委員会責任者を経て、1995年(平成7年)に比例区より参議院議員初当選。政策委員長となり、書記局長市田忠義の病気により書記局長代行を兼務した。「日本共産党のナンバー4」と目されたこともあった。 党派は違うが野田聖子とは1998年頃に意気投合して連絡先を交換し合い、以降親交を深めた。後のセクハラ騒動の際も電話で気遣ってもらったという。2018年の記事では「自分の弔辞を読んでほしい」とまで話していた。
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