鉱山の位置と概要とは? わかりやすく解説

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鉱山の位置と概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/06 02:43 UTC 版)

細倉鉱山」の記事における「鉱山の位置と概要」の解説

細倉鉱山宮城県西北部奥羽山脈山麓にあった、鉛、亜鉛硫化鉄鉱を主に産出した鉱山である。鉱山北上川水系迫川(はさまがわ)支流に当たる二迫川(にのはさまがわ)の更に支流となる鉛川沿いの谷を中心として、東西約5キロ南北約3キロ範囲広がっていた。 鉱山の名となった「細倉」は、江戸時代鉱山中心担っていた細倉山神社付近地名が細倉であったことから名づけられた。地名の由来としては、クラとはアイヌ語切り立った山のことを指す言葉であり、山深い倉山神社付近地形を「細いクラ」と呼び慣わしていたのがいつしか「細倉」となったとの説があり、別の説では山神社の裏山が鞍の形に似ていて、やはり山深い地形から「細い鞍」と呼んでいたものが「細倉」となったという。細倉山神社近代鉱山中心地であった現在の細倉マインパークがある付近から約2キロ奥に入った場所にあり、地名の由来からも細倉鉱山奥羽山脈山麓山地にあることが伺われる。 細倉鉱山9世紀発見されたとの伝承があるが根拠はっきりせず文献からは16世紀後半発見採掘開始されたと考えられている。当初銀山であったが、17世紀後半から鉛の産出始まり停滞した時期もあったが、やがて仙台藩一の鉛の鉱山となった江戸時代末には細倉鉱山産出された鉛から、細倉当百という鉱山使用するための地方貨幣発行された。 明治以降細倉鉱山有望な鉱山であると考えた人々によって鉱山経営が行われるが、水害火災、そして鉛や銀の市況低迷などの影響思うよう発展しなかった。1934年昭和9年)に三菱鉱業細倉鉱山経営権獲得して本格的開発乗り出し戦中戦後の混乱はあったが、日本代表する鉛、亜鉛鉱山へと成長した1970年代以降円高による競争力の低下オイルショックなどによる不況影響細倉鉱山経営は困難となり、1987年昭和62年2月閉山となったその後は鉛鉱石精錬事業継続していたが、1994年平成6年)から自動車の廃バッテリーから鉛を回収する事業開始し1996年平成8年)には鉛鉱石精錬事業から撤退し精錬関連では自動車の廃バッテリーからの鉛回収事業専念することになった細倉鉱山明治以降日本近代化に、鉛や亜鉛などの非鉄金属生産通して貢献し、また鉱山関連遺構比較良好に遺されていることが評価され2007年平成19年)に経済産業省認定する近代化産業遺産群33に、「東北鉱山」の一つとして認定された。

※この「鉱山の位置と概要」の解説は、「細倉鉱山」の解説の一部です。
「鉱山の位置と概要」を含む「細倉鉱山」の記事については、「細倉鉱山」の概要を参照ください。

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