鉱山の合理化推進と廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/22 01:03 UTC 版)
「日立鉱山専用電気鉄道」の記事における「鉱山の合理化推進と廃止」の解説
1958年(昭和33年)1月、大雄院から桐木田間の産業道路建設が開始された。産業道路工事が進む中、日立鉱山では輸送全般について見直すために運搬合理化委員会が立ち上げられた。委員会では日立鉱山専用電気鉄道の廃止と、物資輸送はトラックの利用、人員の輸送にはバスの利用に切り替えることが決められ、1960年(昭和35年)5月末で人員の輸送は終了し、6月からはバス輸送に切り替えられた。そして貨車の運行も同年10月5日で終了し、日立鉱山専用電気鉄道は廃線となった。
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